沖縄県 渡嘉敷島で69年前に起きた「集団自決」の跡地に立つ生存者たち。涙ぐみながら当時の状況を話した(2014年3月28日撮影・栗原佳子)

沖縄県 渡嘉敷島で69年前に起きた「集団自決」の跡地に立つ生存者たち。涙ぐみながら当時の状況を話した(2014年3月28日撮影・栗原佳子)

◆戦争遺跡として整備

今年新しく国立公園に指定された沖縄・慶良間諸島は、那覇の西方約40キロに点在するサンゴ礁の島々だ。しかし69年前の沖縄戦では、約700人の住民が「集団自決」 (強制集団死)に追い込まれるという悲劇が起きた。

このうち327人と最大の犠牲 を出した渡嘉敷島では、「集団自決」のあった3月28日、村主催の慰霊祭が行われ、遺族ら130人が、村関係の戦没者をまつる「白玉の塔」に参拝した。

戦時中、慶良間諸島には陸軍海上挺進戦隊が配備された。米軍が沖縄本島に上陸すると想定、背後から特攻艇で襲う作戦だ。しかし米軍はその裏をかくかのように慶良間諸島から上陸を開始した。

渡嘉敷島では1945年3月27日、阿波連、渡嘉志久の両ビーチから米軍が上陸、日本軍は渡嘉敷島の北端、北山(にしやま)に陣地を移動した。そしてその夜、集落近くの防空壕などに避難していた住民たちに「北山に集合せよ」という軍命令が出た。

住民たちはどしゃ降りの雨のなか、真夜中の山道を歩きに歩き、朝方ようやく軍陣地の背後の谷間にたどりついた。そして、軍陣地からやってきた防衛隊員が村長に耳打ちをした直後、軍からあらかじめ配られていた手榴弾が炸裂した。

だが、不発も多かった。残された人々はナタやカミソリなどの生活用具、石や小枝などを手にとり、死に急いだ。