◇ フィーチャー
中でも私が好んで取り組んだのは、フィーチャーと呼ばれる分野だ。英語でfeatureと書く。ちょっとした物語を伝えるといった趣旨だ。当時、ガゼット 紙には週3回、このフィーチャーの写真を載せるコーナーがあった。新聞が販売されている地域で撮影されたもので地元民を紹介する内容であればテーマは自由 だった。私はこのスペースを「面白いことができる場」として考え、毎回1枚の写真と付随する説明文(キャプション)を出稿できるよう工夫を重ねた。

通勤の途中や取材に行く途中に、絵になりそうなシーンがあればなるべく車を降りて確認した。取材で初めて訪れたエリアは特に時間を見つけて歩き回っ た。そのうちに、休日でもカメラを携帯するようになり、出掛けた先で面白そうな人やグループを見かければ声をかけるようになった。写真を口実にコミュニ ティー内を徘徊しようという魂胆だった。

私のその姿は地元の人たちの目に奇異に写ったにちがいない。カメラを持ったアジア人=観光客というイメージは根強く、たまにおせっかいなオバさんが出て来て「お兄さん、滝はあっちだよ」などと言って私の背中を押した。

アジア人、つまりマイノリティであることがプラスに働いた部分もあった。ガゼット紙の他の2人の写真記者は白人だったが、彼らは黒人が多く住む地区 やインディアンの居住区を明らかに敬遠していた。私は彼らがこれまで足を踏み入れてこなかった場所に足繁く通うことで自分にしか撮れない世界を伝えようと 考えた。

有色人種の住むエリアに加えて、白人のブルー・カラー層が住む地域にも頻繁に顔を出した。私の取材対象が一様に貧しいエリアだったことは偶然でな い。裕福になればなるほど人の暮らしは外から見えなくなる。他人への警戒心が強くなり、住まいは高い塀に囲まれてしまう。つまり、カメラを手にうろついて いる余所者に生活のひとコマを垣間見せてくれるのは、経済的には恵まれないが寛容的なダウンタウンの住人たちだったのだ。

場末のバーで抱き合うカップル、裏庭の花壇を手入れする老人、客のいない両親のレストランで一心に遊ぶ少女...。私は通ってはシャッターを押し紙 面で発表し続けた。そして3年後、撮りためた作品の中から25枚を選んで「Niagara Neighbors」と題する写真展を催した。場所はナイアガラ大学のキャンパスにある美術館だった。初めての経験で人が来てくれるのかと不安だったが、 ガゼット紙の読者を含めかなり大勢の人が足を運んでくれた。

美術館での展示会と報道は無関係に思える活動かもしれない。しかし最初の回で書いた通り、地域との密着は米国の新聞ジャーナリズムの大きな特徴だ。地元にどっぷりと浸ったからこそ可能な作品であり、また作品展だった。
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