◇ピエロになったベテラン記者
他の記者たちも、コラムを使って読者との交流を図るなど地域とのつながりを大切にしていた。ある記者のことを書こう。パトリック・ブラッドリー。通称パット。市の政治担当を務めるベテラン記者だった。

当時のナイアガラ・フォール市は、警察官上がりの市長と消防官上がりの前市長の派閥争いがあり、市長公用車のナンバープレートである 「Niagara Falls 1」を盗み合うというような大人なげない争いを繰り広げていた。彼はそのゴタゴタを辛辣な筆致でコラムに書いた。

その年の夏祭の時、パットはあることを思いつく。「ダンク・ザ・クラウン」という、小銭を払った者が標的めがけてボールを投げ、当たると横に座って いるピエロが大きな水槽の中に落ちるという祭のゲームがある。ピエロは投てき者に罵詈雑言を浴びせて挑発し、見ている者を笑わせる。彼はそのピエロ役を 買って出ることにしたのだ。

「私のコラムに不満を持っている人には、日頃の恨みを晴らすチャンスです」と紙面で宣伝すると、祭の当日は沢山の読者が集まった。その中にはコラム で批判されてきた市長もいた。さっそく彼は大きな歓声を浴びてボールをいくつも投げたが的にぜんぜん当たらない。しびれを切らした市長は歩いて水槽に近づ き、手で的を押してパットを水中に沈めた。

結局その日、市長はもう2回ズルしてから意気揚々と引き上げていったという。私はその場にいなかったのだが、編集室で作業をしていると、髪を乾かし ながら戻ってきたパットがくしゃくしゃの笑顔でその一部始終を語ってくれた。そして、しゃべり終えるが早いか、コンピューターの前に座ってキーを叩き始め た。翌日の彼のコラムが秀逸だったことは言うまでもない。(つづく)

<< 18年勤務の日本人記者が見た米新聞の終焉 (3)
<< アイ・アジアで  (5) がご覧になれます

[執筆者]岩部高明(いわぶ・たかあき)

1968年、横浜市生まれ。1991年、日本大学を卒業後に渡米。大学院でジャーナリズムを学びアメリカの新聞社に 写真記者として勤務。Society of Newspaper Designより銀賞、ニューヨークAPよりベスト・オブ・ザ・ショウ、サウス・カロライナ州フォトグラファー・オブ・ザ・イヤーなど報道写真の受賞歴多 数。 2013年6月に日本に帰国し、ジャーナリストとして活動中。