闇市場を徘徊していたコチェビの少年。1999年9月咸鏡北道の茂山(ムサン)郡にて撮影キム・ホン(アジアプレス)

闇市場を徘徊していたコチェビの少年。1999年9月咸鏡北道の茂山(ムサン)郡にて撮影キム・ホン(アジアプレス)

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「苦難の行軍」とは何だったのか? ある脱北知識人が経験した飢饉の正体(1)へ

◆堕落・墜落した大学同僚の無残

周りはすでに暗くなっていた。同僚の家の真っ暗な玄関の前に着くと、ろうそくの明かりをつけた露店の女が、私の同僚を引き止めた。露店に近づいた彼は躊躇することなく酒を要求した。もちろん、私のポケットの金を当てにしてのことであるが、いきがかり上、私はその支払を避けることはできなかった。 暗い家に入ると、彼は食卓を準備する前に食べ物に食らいついた。

私が気を回さなければ、彼の娘はそのまま食べそこなうところだった。私は、娘の食べる分を分けるため、食べ物を別に管理統制する必要を感じた。そして、そのことに、私にも何なのかはっきりわからない、抗うことのできない未知のショックを感じた。

台所では私が分け与えた食べ物を食べて安心したのか、少女は靴を履いたまま寝入ってしまった。 部屋では、食べ尽くしてしまうにしても、残しておくにしても食べ物を離さなかった同僚が、舌をゆがめて愚痴を言い始めた。

あまりにも同じことを繰り返すので、何のことかと思ったら、その内容は自分の妻についてであった。同僚は大学生の最後の年に、道の芸術団の俳優であった妻と結婚した。 研究者になった夫の経済水準では、女優をしていた妻を満足させることは難しかったものの、社会的風潮が夫婦の結びつきを補った。

しかし、配給制が破綻し、それにより既存の秩序に代わって新しい秩序が胎動すると、すべての美貌の女性と同じように、彼女も、離婚して解放と自由を選択する決心を夫に通告した。 同僚は抵抗した。話し合いもした。だが、いくら頑張っても弱者の交渉は弱いものだ。

娘を引き受けることで一定の生活費は保障するという約束で、半ば譲歩し半ば承諾した。 が、契約を担保する法制すらない北朝鮮社会では、個人間の約束に何の重みがあろう。

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