三人のコチェビが、商売の邪魔だと女性に罵られている。1999年9月咸鏡北道の茂山(ムサン)郡にて撮影キム・ホン(アジアプレス)

三人のコチェビが、商売の邪魔だと女性に罵られている。1999年9月咸鏡北道の茂山(ムサン)郡にて撮影キム・ホン(アジアプレス)

 

◆自殺企図…死の淵から帰還
その後の記憶は私に残っていない。ただ、私がその場から抜け出したことだけは間違いない。一瞬にして、私自身と、私のいる世界のことを、あまりにもはっきり分からせたその同僚の家を出た。私の歩みは、そのままこの世と別れていく方に向かったようだった。人生は意味を失い、人間として持つ本能的欲求も、社会的なものであれ生理的なものであれ、すべてその意味を失った。

すでに「私」と名乗る社会的存在は、党組織からも無視され、大学という職場からも排斥され、唯一の私生活空間であった家も失った。家族とまで離れ離れになった。ついに、最後の「個人財産」である自らの人格までが、捨てるかどうかを問われる瀬戸際に追い立てられていたのだった。

意識もその役割を放棄した。力の源である意欲も意志もすべて抜け出てしまった。そのような状態が続いて3日間ほどが過ぎ、意識が完全に私からを離れた。その時の幻は、今でもぼんやり記憶している。初めは、生物なのか無生物なのかわからない存在が私に迫ってきて、私はとても苦しい状態の中にいた。

そばで誰かがしゃべる声が、時折、脳に伝わってきているようでもあった。止めどなく現れる抽象派芸術作品で見たような幻影の世界のどこかへと向かって、体は彷徨って動きつつあった。行ったことがあるようなないような、とうていはっきりしない場所がどんどん新しく現れた。そうするうちに、いつのまに自分が地下の狭い管の中に入ったように圧迫する闇に包まれてしまった。

息がつまり、体もまったく身動きできない重苦しい感覚に、叫びたくても声は出ず、手足をいくら動かそうにも何の効果もなかった。徐々に気力も無くなり、頑張ることも諦めてしまった。

突然、非常に楽になった自分を発見した。天地も明るくなって爽快な音楽の中にいるようだった。光に包まれて、すべてが共にある安定を感じた。誰も見えないのに、そのような感じがしてとても不思議だった。私は、ふと自分がいまだに立ち上がれるほどではないことを悟って、軽い空虚感を感じた。あせらなくても大丈夫だという暖かい忠告を感じた。

意識が戻ると、周囲には数名の親友が心配そうな表情を浮かべて私を囲んでいた。運命が決めたのか、放置状態で死境を彷徨った私は、11日ぶりに奇跡的に蘇生して意識を回復したのだった。偶然訪ねてきたある友人の発見で、事態を知った多くの友人らが力を集めて私を生き返らせた。

迷惑をかけた私を責めることもなく、友人らは静かに話し合っていた。再び人の声が聞けるようになった私には、その時ほど、人の話し声を不思議に感じたことはなかった。奈落から戻った私に、普通の話の内容が以前とは全く違ったように理解されるのも不思議だった。新しい生には、それに相応しい力があって、また、新しい眼も現れたよう思われた。(続く)

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