防衛省がまとめた報告書によると、原子力災害派遣に投じられた隊員は延べ8万人にのぼる。東日本大震災で自衛隊によって救出された人は1万9286人。収容された遺体は9505体。一方、原発から30キロメートル圏内では、自衛隊が救出した人数については記述なし、収容された遺体は六二体となっている。(2011年12月、防衛省「東日本大震災における災害派遣活動」)

震災の翌朝、大熊町には100名ほどの消防団員が行方不明者の情報を得て待機していた。ところが、全町避難の指示が出るやいなや、団員は急遽1万1000人の住民を避難させる役目を負わされることになった。

避難完了予定の8時前、木村家のある熊川地区では、8名の消防団員が最後の捜索活動を行った。木村家の敷地から南へ「おーい、おーい」と声を出して進んでいたとき、第四分団(当時)の猪狩広さん(55)は人の声らしきものを耳にした。

「捜しはじめて4、5分したころです。『おー』という声が聞こえた気がしたんですよ。私を含めて2人の団員が。私は王太さんだと思いました」

避難完了時刻が迫り、団員たちは後ろ髪引かれる思いで現場をあとにした。翌月、その近くから王太さんの遺体が見つかった。汐凪さんが見つかったのは、そこからわずか50メートルほどのところだった。(次の7回へ

(※初出:岩波書店「世界」2017年4月号)

<筆者紹介>
尾崎 孝史 おざき たかし 
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。

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<<<(3)捜索中、原発事故で全町民に避難の指示【尾崎孝史】
<<<(4)捜索活動、避難先から通い続け【尾崎孝史】
<<<(5)がれきの中から見つかった、娘のマフラーと遺骨【尾崎孝史】
<<<(6)助けられたかもしれない命【尾崎孝史】
<<<(7)町は高濃度の放射能汚染地帯となり、捜索は遅れた【尾崎孝史】

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