熊本地震で右足を失った梅崎さん㊧と「よろず相談室」の牧理事長

昨年4月の熊本地震で倒壊したアパートに押しつぶされ、右足切断を余儀なくされた東海大農学部2年の梅崎世成(せな)さん(21)が厳しいリハビリの末、大学に復帰し学業に励んでいる。あの日から1年7カ月。震災障害者を支援する神戸市のNPO法人「よろず相談室」理事長の牧秀一さん(67)と熊本を訪れ、面談した梅崎さんは「熊本地震を風化させないためにも、障害を負った自分の体験を伝えていきたい」と前向きに語った。(新聞うずみ火/矢野 宏)

◆クラッシュ症候群

梅崎さんは福岡県大牟田市で両親と兄、姉、甥の6人暮らし。小さい頃から「何度も捨て猫を拾って帰る」ほどの動物好き。将来、動物に関わる仕事をしたいという夢を持って昨年4月、東海大農学部に入学した。

阿蘇山の麓、南阿蘇村に広がる阿蘇キャンパスには農学部と大学院があり、雄大な自然の中で1000人近い学生が学んでいた。
梅崎さんも希望を持って、木造2階建ての学生アパートの1階で一人暮らしを始める。

「バリバリバリ」

4月16日未明、梅崎さんは木が裂けるような音で目を覚ました。

「気がついたら真っ暗闇の中で、何が起きたのかわからず、身体を動かすこともできませんでした」

アパートは1階が崩れ、2階部分に押しつぶされていた。
寝ていた梅崎さんの右足に本棚が倒れていた。気を失った梅崎さんは大家の女性の声で目を覚ます。救助に来た人たちが照らす懐中電灯の光が視界に入ってきた。気がつくと、目の前に天井が迫っていた。手探りで近くにあった携帯電話をつかみ、両親に「とにかく生きているから」と伝えることが精いっぱいだった。

「痛みは感じませんでしたが、圧迫感がありました」

就寝中を襲った地震から6時間半後、救出された。後日、同じアパートに住んでいた1年上の先輩が亡くなったことを知る。

「命があっただけでもよかった」と、家族や友人は喜んでくれたが、それも束の間。梅崎さんをさらなる悲劇が待っていた。

クラッシュ症候群――。がれきなど重いものに手や足などが長時間にわたって圧迫され、解放された後に起こる全身障害のこと。筋肉が圧迫されると筋肉細胞が壊死し、解放されると毒素が血流を通じて全身に広がる。心臓や腎臓などにダメージを与え、亡くなるケースもある。梅崎さんも脳や腎臓、肝臓に毒素が回って多臓器不全に陥っていた。

「壊死した右足を切っても助かるかどうかわからない」という医師の非情な宣告。梅崎さんは薄れていく意識の中で答えていた。「先生にお任せします」。
壊死した部分を残さないよう、右ひざ上5センチから切断。手術は成功した。

「希望を持って入学したのに、片足を失って歩けるのだろうか、大学には復帰できるのだろうかと不安が募り、希望を叩き落とされたような思いでした」

地震から2カ月後に義足を装着し、退院後も実家でリハビリに取り組んだ。
「右ひざの機能がなく、かがんで物を拾うことができない状態でした」と振り返る梅崎さん。慣れない義足に何度も転び、ズボンはすぐに穴だらけになった。

長期入院とリハビリで、梅崎さんは春学期(4月~7月)の授業にほとんど出席できない。1年浪人していることもあり、留年すると就職にも影響が出るのではないかと不安だった梅崎さんに、大学側が手を差し伸べてくれた。授業風景をDVDに収録して送ってくれたのだ。梅崎さんはその映像を見ながら入院中でも勉強し、24単位のうち体育以外18単位を修得した。

地震の残した爪痕は深かった。梅崎さんが2週間しか通えなかった阿蘇キャンパスは、その下に断層が走っていることがわかり、大学側は再建を断念。新たな通学先になった熊本市東区の熊本キャンパスには大牟田の実家から電車を乗り継いで1時間ほどかかる。

右足を失ったことで、将来を悲観することもあったという。そんな梅崎さんを支えたのは、執刀医の言葉だった。
「夢は諦めなければ必ずかなう。だから自分の将来を諦めないで」
その言葉に勇気づけられ、梅崎さんは前を向き続ける。

「障害者だからできないと言い訳をしたくない。できないことを一つずつできるようにしたい」

昨年の秋には杖を使わなくても歩けるようになった。「つらい話をよく聞かせてくれたね」とねぎらう牧さんに、梅崎さんはこう語った。

「ニュースを見ても、熊本地震のことは節目ごとに伝えられるだけ。阿蘇で暮らしている人の中には日常をなくした人が少なくありません。地震のことが忘れられるのがつらいのです」
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