1944年8月22日、疎開のため沖縄から九州へ向かっていた民間船「対馬丸」が、鹿児島県のトカラ列島悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈された。乗船者は判明しているだけで学童834人を含む1661人。犠牲者は1484人。学童も775人が亡くなったとされる。悲劇から73年になる昨年3月、対馬丸の慰霊碑が奄美大島の宇検村船越海岸に建立された。建立のために尽力した大島安徳さん(91)=宇検村船越に話を聞いた。(栗原佳子/新聞うずみ火)

学童疎開船・対馬丸撃沈の悲劇を語り続けてきた大島さん=奄美大島宇検村の自宅で(撮影 栗原佳子)

◆悲劇目の当たりに

「一生の悲願でした」
大島さんはほっとした表情で振り返る。

宇検村や大和村などの海岸線に学童らの遺体が漂着しはじめたのは撃沈から1週間あまり経って。撃沈地点から奄美大島までは約150キロ。サメなどに身体の一部を食いちぎられたような遺体も少なくなかった。当時17歳の大島さんも青年団の一員として海に出た。亡きがらは砂浜などに丁重に葬ったという。

「まさに肉の海でした。私たちは強い焼酎をあおって作業にあたりました。あまりにむごく、感覚を麻痺させなければいられなかったのです」

息絶え絶えの状態で漂着した生存者もいた。奄美全体で21人。船越の集会所に運ばれた人たちも、住民の献身で徐々に生気を取り戻していった。

ところが、数日後、突然、桟橋に軍艦があらわれた。憲兵の腕章を付けた兵士が降りたち、「区長を呼び出せ」と抜刀した。そして、生存者たちを瀬戸内町古仁屋の軍司令部に引っ立てていった。

「みなさんの怯えていた姿が忘れられません。その晩、集落の全員に集合がかかりました。そこで区長から『このことを絶対口外しないように』と、憲兵からの厳命が伝えられたのです」

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