ガリ刷りの表彰状
「モロタイではどんな戦いだった?」
「アメリカが上陸してきた朝、突然艦砲射撃が始まった。初めて大砲の音を聴いて震えましたよ。隊長が、様子を見てこいというんです。先に行くと人が立っている。戦友かと思って、よく見たらヘルメットが違う。あのとき初めてアメリカ兵をみた。・・・それからは、山にこもってときどき出てくる」
「出てきてなにをするんです」

「二キロ半の爆弾を背負って、夜中あいつらの宿舎に仕掛けに行くんです。信管に使うのは、手榴弾。あれは、一、二、三、四でドーンですよ。だから、すぐ逃げないといけない」
「...」

「わたしは、一瞬逃げ遅れて気絶してしまった。気がつくと、明るいんです。あの世かなと思った。すると、機関銃がダダダッて来た。ヘルメットをかするんです。正気に戻ってよく見ると、明るいのは投光器で照らされていた」
「出征のときは結婚されていた?」
出征は昭和18年末である。結婚して一週間目だったという。

奥さんは3年半待った。生きていた者はみんな帰ってきた。その他の者には死亡通知が来た。パーウン・ナウイについてはなんの音沙汰もなかった。
パーウン・ナウイは突然帰って来た。

奥さんは語る。
「嬉しいというより、生活が大変でしたよ。着るものも一つもない。麻をとってきて、こん人の服を織りました」
「3年ぐらい身体がおかしかった。でも、戦地に比べたらこっちの方がましと思って頑張った。戦地の精神忘れなかった。だからやってこれた。忘れてたら駄目だった」とパーウン・ナウイは当時を振り返る。
彼が戦後大切に守ってきたものがある。1枚のガリ刷りの表彰状である。

「右者昭和十九年九月十五日敵モロタイ島ニ上陸スルヤ寡兵ヲ以テ神出鬼没   随所ニ斬切戦ヲ敢行シ長期ニ亘リ敵ノ心胆ヲ寒カラシメタリ。特ニ糧食ノ缺乏ヲ訴フルヤ草根木皮ヲ噛ミ尚烈々タル闘魂ヲ以テ敢闘ス。此ノ間軍司令官ヨリ感状ヲ授與セラレ又畏クモ御嘉賞ノ御言葉ヲ賜ルコト前後四回ニ及ヘリ。洵ニ其ノ武功抜群ニシテ衆ノ模範タリ。○テ茲ニ之ヲ表彰ス。

昭和二十年八月十四日
ハルマヘラ最高指揮官陸軍中将正四位勳一等功四級石井嘉穂
読んでいると彼らの戦いぶりが髣髴としてくる。石井なる司令官は、ジャングル戦における高砂兵士の有能さに本気で驚嘆したに違いない。

パーウン・ナウイの所属していた輝第二遊撃隊は、正規兵であるが、高砂兵だけを集めた部隊である。その点では、高砂義勇隊と変わらない。裸足で戦った点も同じだ。しかし、ある人々は、義勇隊は軍属、志願兵は正規兵といった区別をする。

輝隊には名簿も残っている。動員された人数、戦死者も明瞭だ。生き残っている戦友と連絡をとることも可能だし、戦記まで刊行されている。
しかし、義勇隊の方は、名簿どころか動員された人数さえ明らかにされていない。いったい誰がどこへ行き、どこで死んだのか、そんな基本的な全体像さえ不明のままの「高砂義勇隊」。わたしはパーウン・ナウイの自信に満ちた勇壮な話を聴くにつれ、ますます義勇隊の悲劇が鮮明になるような気がしたのである。(続く)

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