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【鴨緑江に洗面のために隊列を作って降りてきた集結所という拘置施設に勾留中の人々の様子(1999年8月恵山市郊外) 撮影:石丸次郎/ASIAPRESS】
【鴨緑江に洗面のために隊列を作って降りてきた集結所という拘置施設に勾留中の人々の様子(1999年8月恵山市郊外)
撮影:石丸次郎/ASIAPRESS】

私はなぜ北朝鮮を脱出したのか(2)

私には二つの望ましくない呼称がついている。
一つは「脱北者」であり、もう一つは「帰国者」である。
日本に生まれた幼い私は、帰国する親と共に北朝鮮に行った。

祖国では「在日帰国者」と呼ばれ、北朝鮮か らまた日本に舞い戻ってくると、今度は「脱北者」として括られることになった。
「脱北者」も「帰国者」も、一般的に前科者,ホームレス,亡命者とか収容者等と同じぐらいネガティブなイメージの呼称である。それをかぶせられる運命は、決して幸運とは言えないだろう。

「脱北者」の大部分は、国境を越える時、初めから韓国や日本を目的地として意識するのではない。パニック状態の中で生き延びるために、地続きの中国の満州に出てくるのは歴史的あった現象で、全く新しいことでもないが、現在では特別に「脱北者」と呼ばれる。
昔はそのような人の中から独立運動家が生まれた。

満州は本来、朝鮮の先祖が住んでいた所で、朝中間にあっては、あたかもエルサレムの帰属のように複雑である。
とにかく脱北者は、不名誉な呼称で呼ばれるお陰で、なぜ出てきたかに答えなければならない立場にある。北朝鮮では「脱北者」は「反逆者」と同意語だが、実は脱北者の中で北朝鮮を愛していない者は非常に稀だ。矛盾するが、なぜそのような人々が脱出したのか。
少なくとも、私の脱出理由は、誰よりも私が一番よく知っている。

私は平凡な生活をしてきたし、また今後も平凡な生活をするだろう。
この平凡この上ない私の人生の中で、命がけの'不法越境'の渡河、中国公安の捜索を避けての'山中潜伏'、限界に達した肉体で、警戒ものものしい市街地、道路、水路を横断する強行軍などなど、ドラマの中のシーンのような、ゲリラ活動に匹敵するような行動を、私は一時的にでもできたのかだろうか。

振り返って見ると、その時の決断力心と勇気は、私の体のどこに隠れていたのか不思議に思われる。到底、自分が自分に命じて取った行動とは断定すら難しい。
ただ言えるのは、脱北の前に、どのようなことが私に起こったのか、平凡な私の人生に何が襲撃してきたのか。それを書くことが、一部の人々に度々質問される、<なぜ脱北したのか?>に答えることになるのかもしれない、ということだ。
但し、脱北の具体的理由は千態万象があり、私は決して何をも代表しないという点だけは、くれぐれもはっきり述べておきたい。 (2006/02/25)

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나는 왜 북조선을 탈출하게 되였는가 1
나에게는 두가지 바람직하지 않은 호칭이 붙어있다. 하나는 "탈북자"요, 또하나는 "귀국자"이다.
일본에 태여난 내가 귀국하는 부모와 함께 북조선에 가니 재일"귀국자"가 되였고, 북조선에서 다시 그 일본으로 오게 되였으니 이번에는 "탈북자"가 되였다.

일반적으로 전과자요,로숙자요,망명자요,수용자요 하는 것들과 마찬가지로 이런 부정적
이미지의 호칭이 씌워지는 운명을 결코 행운이라고 할수 없다.
"탈북자"의 대부분은 국경을 넘을 때,처음부터 한국이나 일본 목적지로 하고 의식적인
탈북행동을 하는것이아니다.

살길을찾아 지맥이 잇닿아 있고,특히 중국 만주에 나오는 것은 력사적 기성현상으로 비록
오늘에 시작된것이 아니지만 류별나게 탈북자라고 불리운다.
원래 그 땅은 조선의 선조들이 살고 있은 곳이여서,조중에게 있어서 마치 예수살렘의 땅 귀속처럼 복잡하다.

하여간 탈북자는 불명예스러운 호칭을 불리우니만치, 왜 나왔는가를 대답해야 할
의무라고 할가 권리라고 할가,
그러한 립장에 처하여 있다.북조선에서 탈북자는 반역자와 동의어이지만,탈북자치고
북조선을 사랑하지 않는 사람은 대단히 보기 드물다.
그런 사람들이 왜 모순적으로 탈북하였는가.

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