060421_54.jpg「右」の人たちとの討論やら靖国神社への考察などを書き記してみました。
【「ニイタカヤマ ノボルナ」の記者会見】
さて、今回の番組もやはり「愛国」が議論のポイントになった。塩見さんの口からも「愛国(くに、クニ)心」「愛民族」という言葉がぽんぽん飛び出してくる。

自分の生まれた場所、自分の家族、自分を育んだ共同体などへの「愛」を指しているのだろう。そのような自然な心情を否定する者は誰もいない。「右」も「左」も同じである。問題は「愛」ではなく、「国」なのである。「人」や「自然」を愛するのではなく、「国を愛すべし」というのが曲者なのだ。

ぼくは「国家」というものに対しては、決定的な不信感を抱いている。この世でもっとも信用のならないものである。すべての戦争は「国家」の名のもとに戦われ、兵士と人びとは「国家」のために命を落とすのである。

前回、この連載ではイラク戦争を仕掛けた「米国の正義」について書いた。ブッシュ大統領は「これは善と悪の戦いである」と言い、ぼくがイラクで会った若い米兵たちも「われわれはイラクの人たちを解放するためにやって来た」と信じていた。いま米国の世論はブッシュ大統領の数々のウソに気づき、イラクでは「無駄な死」の再生産が行われているのではないか、と思い始めた。

米兵の死者が2千人を超えてくると、この戦争の大義を疑うのは当然である。それでも、いったん「国家」が始めた戦争をやめさせることはむずかしい。なぜなら、国家は「愛国心こそもっとも尊い価値である」と教えてきたからであり、「愛国心」を持たぬ輩を「国家」に有害な人物とみなして、排除、弾圧の対象としてきたからである。
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