060421_50.jpg「右」の人たちとの討論やら靖国神社への考察などを書き記してみました。
【「靖国への手紙」を読む野中章弘】
それにしても、である。靖国をめぐる言説には決定的に「他者」が欠けている。たとえば「国のために命を捧げた英霊を祀る靖国神社を参拝して何が悪い」と開き直る小泉首相の頭の中にあるのは、日本の戦没者のことだけである。

十五年戦争で犠牲となったのは三百十万人の日本人だけではない。日本の侵略戦争により、アジアでは二千万人の命が失われたといわれる。アジアには日本の数倍もの「死者」への痛みが存在している。靖国参拝を正当化する小泉首相の発言からは、その痛みに対する「悼み」の言葉はほとんど聞かれない。彼の中にあるのは、閉じられた「小さな自己」だけである。

十一月下旬、ぼくはソウルを訪れ、靖国への合祀取り下げ訴訟の原告である李熙子(イ・ヒジャ)さんの話を聞いた。一九四四年、彼女の父親は陸軍軍属として徴用され、中国広西省で戦病死している。死亡通知は一切届いていない。

戦後、金さんは日本軍の協力者としての父の汚名を晴らすため、朝鮮人軍人軍属の記録を調べ始めた。父の足跡が判明したのは戦後数十年も経ってからである。
「死んだということより、もっと驚いたことがありました。父は一九五九年に靖国神社に合祀されていたという事実です」

李さんは、「日本は祖国を植民地支配したうえ、私から父を奪っていきました。靖国はその日本の「英雄」として父を祀っているのですから、遺族にとっては耐え難い苦痛なのです」と怒りを込めて語っている。
故郷の墓地にある父親の墓標には、まだ何も刻まれていない。靖国から「魂」を抜かない限り、死者の魂はここへ戻らないのだという。
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