路上宿者になり果て、あるアパートの下の倉庫で暮らしていた私も、自殺未遂事件直後から、死の使者にいつも付きまとわれているのか、コレラに罹ってしまった。餓死から命拾いした私は、またも脱水による臨死体験を強いられた。
しかし今回は、意識を失わなかった。初めはただ突然の普通下痢だと思って、下痢止め薬を飲んでいたが、毎日私を訪ねてくる親友が、流行っているこの病気が、あの解放直後に発生した疫病のコレラで、今巷では大騒ぎだと教えてくれた。

非常識のせいか、不思議にも自然のこの病気には何の恐怖も感じなかった。
それよりも、コレラであることがばれると、ここからも追放されてしまうのではないかと、病気よりむしろ社会を最も恐れた。
医師である彼女は治療の方法や薬を教えてくれた。当時、中央の保健当局が国連保健機関に申告したのか、国家次元では外国の支援が届いていた。

だが、その名も“急性下痢症”と命名し、隠蔽的に情報管理を徹底した。
インド産のオーラル性食塩水の粉末が大量に高い値段で市場に出回った。
幸い間に合ったので、私も早速市場から購入し、それで再び命を取り留めた。

飢餓と寒さ暴力と並んで、多くの北朝鮮の民衆の生命を奪い取った恐ろしい病魔。
それが私から引き下がっていったのは、季節も涼しくなり稲の収穫が始まる10月に入る時だった。
<何とかこの秋まで頑張るのだ。秋までに配給や職業は元通りになるだろう>
秋に希望を見出し、私は生き延びたのだった。 (2006/05/23)
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