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【列車の中で身分証と切符の検査が始まった】(撮影:李ジュン) ASIAPRESS

【列車の中で身分証と切符の検査が始まった】(撮影:李ジュン) ASIAPRESS

私はなぜ北朝鮮を脱出したのか(14)
(苦難の行軍の時期)
あらゆる人々が生き延びる方法を探して血眼になっていた時であっても、愛国的行動に走る者もいた。
それは、二極化して現れた。

一つは純粋な子供たち、他の一つは共和国を建国し発展させてきた功労者の老人であった。
食べ物を探し求めて先生も学生もすべてが散り散りになって空っぽになってしまった校庭は、一部の少年団員に重大な愛国的自覚を呼びおこした。
政治思想生活組織である少年団はどこへ行ってしまったのか。教壇で正義を吐いていた先生はすべてどこへ行ったのか。

子供たちのまじめな忠誠心は、学校だけではなく全社会に波及していくこの非正常な無秩序状態の急激な拡散について、教わった通り政治組織に必ず報告するべきだという義務感を呼び起こした。

また、この様な非常事態には“悪い奴ら”の奸計が隠れているという判断を呼びおこした。
また子供たちの忠誠心は、まさにこのような時、誰もが取るべき唯一の良心的な行動に駆り立てた。

すなわち、平壌にいる“敬愛する将軍様”へ至急報告すべきだと、全国の幼い少年団員の心は強烈に突き動かされたのであった。
一般の勉強を犠牲にしながら、少年団組織と学校が骨を折って“革命の第三世代”の少年少女に忠誠心教育をした真の効果が花開こうとした瞬間であった。

たかが13.14才にしかならない純粋な少年団員たちは、国を救おうと大人には内緒で、どきどきする胸がしめつけられるようにして平壌へ、平壌へと向かった。彼らの胸には、自分の手で心を込めてアイロンをかけた少年団の赤いネクタイがシンボルのように赤く燃えていた。
彼/彼女らは、自分たちの行為が正しいという信念に満ちてはいるものの、一方で“盗み列車”に乗って行かなければならないという現実的立場に強い反発を感じていた。

だが、大義名分により自律された“抗日児童団員”のように忍耐と克服が発揮された。
朝鮮の通行制度上、保護者なしに児童が列車に乗ること、特に平壌への列車旅は“少年犯罪行為”であり,安全部(警察機関)と青年同盟の厳重な取り締まりを避ける冒険と知恵の発揮なしに旅は不可能だった。

それは覚悟していたことだったが、この忠誠心にあふれる児童たちには、恐ろしいもう一つの未知の威嚇が待っていた。
正常ならば普通、平壌までの最長距離列車旅行でも24時間以上かかることはないが、あたかもその忠誠心の強度を計るかのように、鉄道運営の破綻と無秩序は、旅費のない少年団員を容赦なく途中で断念、旅をあきらめさせたのだ。

もっぱら最強の忠誠心をもった児童だけが将軍様のいる朝鮮の終深・平壌に肉迫することができた。
一方この時期、平壌市への出入りは、従来の受動的な管理制度から、関係機関の公務員が積極的に関与するように変わった。
つまり、鉄道員たちはそれを既得権として、民衆から賄賂を取ることで収入源にしたのだ。
列車で平壌に入るには、2重の腐敗的な統制状態が作られ、雰囲気はどんな時よりも殺伐としていたのだった。 (2006/05/28)
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