爆音のない静かな空を
~厚木基地周辺住民、半世紀の訴え~ <第4回>

【市街地上空を飛ぶ米軍FA-18戦闘攻撃機】

【市街地上空を飛ぶ米軍FA-18戦闘攻撃機】

基地公害を告発する騒音訴訟
尾形は1997年、厚木基地周辺住民が国を相手取り騒音被害の損害賠償を求めて提訴した、第3次厚木基地騒音訴訟の原告になった。
「爆音の被害と事故の危険性を身をもって一番知っているのは住民です。

その深刻さを、いかに頻繁に米軍機と自衛隊機が飛んでいるかという事実を通して国に突きつけたかったので、目撃機数を記録しました。1日も早く基地をなくしたいのです」
1963(昭和38)年7月である。

当時、厚木基地が大和市にあるとは思いもよらなかった。宅地を見にきたときも日曜で、飛行機は飛んでいなかった。
その頃、まだ周囲は雑木林と畑で環境も気に入った。ところが、平日に建築中の家を見にきたら、屋根すれすれほどの超低空をジェット機が飛んでいた。轟く爆音を聞いて、頭の中が真っ白になったという。しかし、後悔しても月賦で家を建てた以上、ここに住むしかなかった。

「憲法第25条には『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』という基本的人権が定められています。しかし、私たち住民の生活は爆音によって侵害され続けているのが現実です」

尾形の妻は慢性腎不全をわずらい、28年間人工透析を受けていた。そして、3年前に亡くなった。病気の人にとって爆音は一層こたえたであろう。ただ、尾形はそのことについて立ち入った話はしなかった。
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