「ちりとてちん」その2

yanagi_071108.jpg【海鮮料理屋で注文をする会社帰りのサラリーマン】

では、小龍包・四川・上海・飲茶などといったさまざまな料理は、いつ台湾に入ってきたのか。それらは、長い時間をかけて徐々に浸透していったわけではない。

中華人民共和国建国前後の1949年、蒋介石と中国国民党に引き連れられて、二百万人近い「敗残兵」と「難民」がこの小さな島に逃げ込んできた。

そのなかには、肥え太った政治家や高級官僚・大学教授・将校にそのお抱えコックもいたが、大半は無位無官無一文の庶民たちだった。当時の台湾の人口は六百万人。この島が抱えた困難は想像を絶する。
異郷の地で、財産も土地ももたない「一家」が日銭を稼げる商売といえば、やはり食べ物屋である。難民には大陸各省の人間( 彼らは外省人と総称される )がいたため、台湾北部を中心にさまざまな新しい食文化が芽生えた。

今日、観光客が三泊四日のツアーで食べている食事の大半は、こうして戦後の大混乱のなかで出現したものである。
それだけではない、中正紀念堂だの忠烈祠だの故宮といった市内ツアー定番スポットもすべて外省人=国民党の文化。だいたい日常みんなが話している言葉自体が、戦前の台湾ではまず聞く機会のなかった中国語=北京語なのである。

それだけ、我々が思っている以上に、現代台湾において、外省人のもたらしたものの存在感は実に大きい。
(この項続く)