59回目の独立記念日(上)
朝6時過ぎ、肌寒い街に出る。
夜明け前からジョギングをする人の姿が目に入る。
すぐ横を、眠たげな顔をした人でいっぱいの乗り合いバスが通り過ぎる。
2007年1月4日の独立記念日、いつもの朝と変わらぬ風景だ。

ホテルに戻り、朝食をとりながら前日の国営紙(英文)を手にする。
一面の上段には、ビルマ軍事政権(SPDC=国家平和発展評議会)の議長で、事実上の独裁者であるタンシュエ上級大将の顔写真が目につく。
下段には、軍部のNO.2であるマウンエイ副上級大将とずらりと整列した国軍兵士の写真が載っている。

「国家の安定と平和、国家の経済力と国民、国家の教育水準の向上」という箇所を読んでいた7時過ぎ、突然の停電。
またか、というあきらめで気持ちが萎える。すぐに電気はやってきたが、国営紙が喧伝する国家発展の内容と現実生活の乖離に唖然とする。国民の前に国家ありきの実体を痛感する。
こうやってビルマの独立59周年目を現地で迎えた。
DSC_0241【ある地方都市の写真屋。店の表にはタンシュエ上級議長の写真を飾るが、店の奥には独立の英雄アウンサン将軍とその娘であるアウンサンスーチーの幼い頃の写真を飾る。
大多数のビルマ人は民主化指導者のアウンサンスーチー氏を支持している。だが、そのことを表に出すことは出来ない】
この半世紀の間、軍事政権国家として存在し続けるビルマ。

その姿を捉えてみようと、地方に足をのばしてみた。
首都ラングーン(ヤンゴン)からバスで約6時間ほど走る。
中継地点で一泊し、翌朝列車に乗り換える。列車でさらに南に4時間、今度は船へ乗り移る。
朝から夕方まで、ずっと移動。

朝靄に浮かび出た太陽も、船上の人になる頃には、西に傾いていた。
真っ赤な太陽がイラワジ河の支流に沈んでいく。
多くのビルマ人もその静かな風景に見入っている。
普段は外国人などは乗らないであろう定期船。

物珍しいのか、周りのビルマ人がこちらの様子を伺っている。
私をチラチラ見ていたビルマ人男性が突然、英語で話しかけてきた。
「どこの国から来ましたか。これからどこへ行くのですか」
~続く~
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