清津(チョンジン)市は北朝鮮第3の都市で人口は推定70万人だ。写真は清津駅。
(2005年5月 リ・ジュン撮影)

 

2006年9月、一か月の間に清津市青岩(チョンアム)区域で、中学校3~4年生の3人が続けざまに行方不明になるという事件が起こった。
3人はみな15歳で、そのうちの一人は少女だ。昼食時、学校から帰って来た娘を母親が近くの露店にお使いに出したのだが、その後、家に帰ってこなかった。

もう一人は、朝登校すると言って家を出たが、学校から欠席の知らせが来た。
そしてもう一人は、学校が終わって帰る途中に姿を消した。

近所の目撃者の話によると、三人のうち一人の少年が、若い男と一緒に歩いて行くのを見たという。4年生の男子学生は、同じ日の昼ごろ、見慣れない男と一緒に学校のそばの道の角に立っているのを見たという人もいた。
行方不明になった少女の両親は、学校の先生や同級生のところに情報を聞いて回ったが、娘は見つからなかった。親戚の家も訪ねて回ったが来てないという。

母親は、娘がいなくなったショックで放心状態になりながら、娘を探してあちこちを彷徨い歩いた。商売に出ても客におつりを渡し間違えて何度も騒ぎになったりした。

人民班長も洞事務所(区域の役場に当たる)や保安所に通報したが、受理しただけだった。
3人の少年少女が行方不明になったという噂は周辺地域に瞬く間に広がり、同年代の子供たちはもちろん、親たちも不安にかられている。
食べていくのに必死の親たちは、事件のおかげで商売に集中できず、いら立ちを募らせている。少し余裕のある親たちも事件への関心は高く、子供の行き先をこまめにチェックするなどしている。

今回の事件の特徴は、同じ学校の15歳にもなる大きな子供が、白昼の市内で、人通りも多い時間帯に人知れず消えてしまったという点だ。国境を越えて活動する児童人身売買業者が関与しているという推測もある。

今回消えた子供たちは1991年生まれで、「苦難の行軍」が最も厳しかった時代になんとか生き延びた貴重な子供たちだ。
そんな子供たちを一生懸命育ててきたというのに、行方知らずの目に遭ってしまうとは、子供を失くした家庭にとってはもちろん、彼らが将来の担い手である私たちの社会や国家にとっても大きな損失だと言わざるをえない。
(資料提供: 2006年10月 ペク・ヒャン 整理:チェ・ジニ)

おすすめ<北朝鮮> 写真特集・無料動画… 

★新着記事