90年代後半、ジャンマダンは「猫の角の他ならなんでもある」と言われるほどに急成長した。ごった返す元山のジャンマダン。(1998年10月江原道元山市 アン・チョル撮影)

90年代後半、ジャンマダンは「猫の角の他ならなんでもある」と言われるほどに急成長した。ごった返す元山のジャンマダン。(1998年10月江原道元山市 アン・チョル撮影)

 

我が国の経済動向 6
市場経済の発展
石丸次郎:いったい、朝鮮における「市場」とはどのようなものだと理解すればよいか?
ケ・ミョンビン:第一に、堕落、転落した国家による配給制に成り代わって、対外的にも少し開放された「ジャンマダン式全国流通網」(注)が挙げられる。

苦難の行軍の出発点を見てみると、配給制に縛られて暮して来た人民は、労働力の他に何も持たない本当の無産者だった。
彼らは自然に、いや、「赤旗を守れ」という国家の要求を払いのけて、労働力の消費需要があって、唯一その交換が行われるジャンマダンに、一人二人と集まり始めた。

荷物を運ぶ人、家具を作る人、ホウキを編む人、タバコを巻く人、畑で耕す人など、次から次へ自分の労働を売って、精一杯「商品」を作り始めたのだ。
しかし、働こうとする人がいるだけではジャンマダンは成り立たない。ジャンマダンには物資も入らなければならない。それをどこから持ってきたのだろうか。

このジャンマダンの流通網の需要によって、それまで固く閉ざされていた(中国)国境の鉄門が、合法または非合法(密輸)貿易によってこじ開けられ、国の内と外が連結されたんだ!国家の承認なく外国と取引することは、政治的犯罪とされていたにもかかわらずだ。
国境から入ってくる中国の物資は、すぐに全国のジャンマダンに届けられる。市場経済がすでに発展した中国の影響が、国家の統制の手の届かないところで、自分勝手に朝鮮のジャンマダンに入り込み始めたのだ。

競争力が優勢な中国製品が、ジャンマダンを押さえてしまうと、朝鮮の労働力は、多くの仕事場を失うこととなった。国営工場、企業で作る物資は、市場で売るのが難しくなった。

中国の工業製品が無制限に入ってくる代わりに、朝鮮の原料や資材がどんどん出て行った。
銅一つだけ見ても、全国のどこでも、電気機関車のモーター、電柱の上に置かれた変圧器、水道ポンプ場のモーターの銅線、はなはだしくは有色(非鉄金属)鋳造場の廃棄物で、長年の地下に埋められていた銅滓までもが、ばらばらにされて国境へ国境へと流れて行った。

全国のジャンマダン流通網は、民衆の辛い経験があってやっと、恐ろしいほどの己の力を知ることとなったのだ。
労働力と中国物資にだけ依存していたら、ジャンマダンはさらに大きく成長することはなかっただろう。
ジャンマダンが規模を大きくする別の手段は、略奪と盗難、そして違法とされてきたサービスだった。
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