これまでは経済的にたいへんだったから仕方がない事情もあったけれど、今後はどういう事情があろうと関係ない。
それで、非行の問題については、今後、党ではなく、法的に対処する。特に12班の人民班長同志、わかりましたね」
あちこちからあくびをする声が聞こえる。

いくら取り締まりを厳しくすると言っても、賄賂さえ渡せば済むので痛くも痒くもないのだ。
停電のせいで会議室は薄暗いというのに、聴衆のしらけた表情が不思議なほどはっきり私には見えた。
(資料提供 2006年12月、記者ペク・ヒャン 整理:チェ・ジニ)
※ 整理を担当した私、チェ・ジニは、1998年まで平壌に住んでいて脱北した。

もちろん、うっとおしいことの連続である地域の会議にも、嫌々ながら参加していた。
ペク・ヒャンの報告を聞いて驚いたのは、会議の雰囲気が、私のいた頃と最近とでは、あまりにも異なることであった。
先軍政治になってから、軍人の家族らが洞党をバカにするような風潮が露骨になるというのは、十分想像できることたったが、人民班長会議でさえこの有り様なのには、本当に驚かされた。

党で働いて16年にもなる労働党員が、地域住民の前で途方に暮れるなどということを、私は今回初めて聞いた。
私には、彼女のこんな嘆きが聞こえるような気がした。
「ああ、あのやり甲斐のあった党員の仕事が、こんなにも辛い仕事になるなんて…」
注1 洞は日本では町といったところ。

洞の労働党組織は、その地区の住む主婦、老人、生活保護者の党員で構成され、党組織と女性同盟組織を基本的に管理する。
地域の組織であって職場組織ではないため、党員ではない職を持つ男たちに影響力を持つことができない。
ジャンマダンの商売人には年寄り、停年退職者、主婦が多い。
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