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【護衛艦「さわぎり」の母港、海上自衛隊佐世保基地】

【護衛艦「さわぎり」の母港、海上自衛隊佐世保基地】

第1章
自殺した自衛官とその両親が訴えるもの
演習航海中の艦内で

1冊の献血手帳がここにある。宮崎県赤十字血液センターによる再発行のスタンプが押され、その日付は平成15(2003)年9月24日になっている。
献血記録の欄には、計5回の献血の年月日と献血場所と献血量が記されている。最初は平成7(1995)年7月24日、宮崎において200ミリリットル。第2回が平成9(1997)年5月10日、第3回が同年9月3日、第4回が平成11(1999)年3月23日で、いずれも佐世保において400ミリリットルと書かれている。最後は平成11年9月8日、長崎で血小板を献血とある。

献血者は男性で、血液型はO型である。生年月日は昭和53(1978)年11月8日だから、初めての献血のとき16歳8ヵ月あまりで、最後に献血をしたのが20歳10ヵ月のときである。

「あの子は、高校2年生のときに初めて献血をし、海上自衛隊に入ってからも続けていて、そして亡くなるちょうど2ヵ月前にも献血していたんですね。そのときは献血手帳を持っていなかったので、後日、記録を献血手帳に記入してもらってくださいという葉書が来ました。でも、本人がもういなくなってしまったので、そのままになっていたんです......。ですが、私と夫は親として、息子の生きた足跡を何でも、少しでも残してあげたくて、献血手帳を再発行してもらいました......」

手にした献血手帳に目を落としながら語るのは、宮崎市郊外に住む鈴木佳子(仮名/60歳)である。
その3男で、海上自衛官(3等海曹)だった鈴木秋雄(仮名)が自ら命を絶ったのは、1999年11月8日、紀伊半島潮岬の南方、北緯29度58分・東経135度20分の洋上を演習航海中の護衛艦「さわぎり」艦内であった。
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