これは公正なことだと思う。もちろんこの場合、犯罪者本人だけが教化に行き、家族は行かない。
わが家の場合、なぜ家族全員が「管理所」に送られねばならなかったのか?
まさにここに、革命化の隠された本質がある。

父の場合を見てみよう。万一、父に法的に罪があると判断されれば、公正な裁判を経て本人だけを教化所に送れば済んだはずである。
しかし、父には裁判にかけるだけの罪の根拠がなかった。つまり父を教化所送りにする理由はなかったわけだ。いくら父のことが憎くて除去してしまいたくても、現共和国法では教化所送りにすることはできない。
権力争いが起こると、自分たちの勢力を維持するために、どうしても叩き潰さねばならない人間が生じるものなのかもしれない。

「こいつを生かしておいては、後々自分が危ない。自分が健在である間に、こいつを闇に葬っておかなければならない」
このような目的を達成する口実として、この国には革命化が必要なのだ。そして「管理所」は、邪魔な者を闇に葬っておくために必要な場所なのだ。
朝鮮の革命化=「管理所」送りのシステムは、権力闘争の道具に成り果てているのである。
ところで、無実の人間が闇に葬られたら、たとえ世間が知らんふりをしていても、家族は黙っていないはずだ。必死に真相を確かめようとするだろう。

このような家族の報復が、勝者には一番恐ろしい。それで、いっそのこと家族全員、一族郎党を「管理所」に放り込むのだ。
無実の人間を闇に葬るという恐ろしいことをして、さらに家族全員を葬ってしまえば後々の心配はないから安心するのだ。
愚かなことである。完全に封建時代の思考である。

さらに言えば、公正な裁判を受け、然るべき理由があって逮捕・収容されるのであれば、わざわざ彼らを世の中と隔離させたり、世界から隠したりする理由がないではないか。
この国の罪人は、力のない者、権力を掴むことができなかった者なのだ。この国では力の弱い者は、反逆者にされ、闇に葬られてしまうのだ。

※朝鮮社会で人々の間に前近代的な対立関係が繰り返し形成される理由は、幹部革命化の決定が国家の法制度によってではなく、党の組織規律によって人為的になされるからである。

今の朝鮮社会では、権力争いに国全体が巻きこまれて政局混乱、社会不安が常に生ずる。
権力争いで勝った者が負けた者を「管理所」に放りこむ構造を作った国家と執権党の体制運営方式に、根本的な問題があると言える。

(つづく)

注1 慰労事業
一九九四年七月、首領金日成が急死すると、唯一思想体系の国、朝鮮は政治的大混乱に陥った。一〇大原則によれば、首領は永遠に健康で安泰でなければならなかったからだ。朝鮮の全党員たちと勤労者、軍人たちの中から、金日成を死なせたことに対する怒りの炎が立ち上った。
当時、大混乱に慌てた後継者金正日は、幹部たちに対する一大思想検討を行った。
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