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【国会議事堂を望む。「人的資源」については戦後の国会でも審議されていた】

【国会議事堂を望む。「人的資源」については戦後の国会でも審議されていた】

第4章
戦後日本の経済大国化のなかで

国会での「人的資源」
人間を軍馬など家畜や様々な軍需物資と同じように、戦争遂行のための国家の資源として扱うのが「人的資源」の本来の意味であり、「人的資源」の発想も言葉も戦前の軍部と官僚機構による国家総力戦体制・国家総動員体制づくりの過程で生み出されたことが明らかになった。

大東亜共栄圏の名のもとアジア・太平洋地域の「人的資源及び物的資源」を支配し、統制運用しようとした戦争に敗れ、大日本帝国から日本国へと政体が変わり、憲法も新たになった戦後、日本内外でおびただしい惨禍をもたらした「人的資源」の発想も、そうした変化とともに消え去ってもおかしくはなかった―――。

国会審議の場で交わされる言葉は、折々の社会情勢と時代の風潮を反映するものだ。
それら様々な言葉は立法と行政を通じて、国家・社会の進路に大きな影響を及ぼす。その影響はまた人びとの暮らしと人生にも及んでくる。
敗戦から2年目、日本国憲法が施行された1947(昭和22)年5月、新憲法のもと最初の国会が開かれた。同年4月の総選挙で社会党が第一党になっていたため、吉田茂内閣(自由党)は総辞職し、社会党と民主党と国民協同党による連立政権が発足した。首相には社会党委員長の片山哲が就任した。

当時の民主党は現在の民主党とはまったく別の政党である。1947年に結成され、芦田均を総裁とする保守中道政党で、「修正資本主義」路線を掲げていた。
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