【多くの職場で派遣労働者など非正規雇用労働者が働いている】

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第7章
若き派遣労働者の過労自殺

ホワイトボードに残された文字
いまから10年前の春、ひとりの若者が埼玉県熊谷市にあるアパートの一室で、ホットプレートの電気コードで首を吊って、息絶えていたところを発見された。自殺であった。1999(平成11)年3月10日のことで、警察の推定では死後5日が経っていた。

亡くなったその男性は上段〔うえんだん〕勇士〔ゆうじ〕といい、享年23歳だった。
当時、彼は大手光学機器メーカーのニコン熊谷製作所で、半導体製造装置の完成品検査作業の仕事をしていた。ただし、ニコンの正社員ではなく、業務請負会社ネクスター(現アテスト)に雇用されてニコン熊谷製作所に送り込まれていた。遺体を発見したのは、ネクスター熊谷営業所長とその上司であった。

3月10日の午後、勇士の母、上段のり子(60歳)は岩手県一関市にある自宅で、
「お母さんですか。落ち着いて聞いてください。上段勇士さんは亡くなっています。死因は首を吊っていて、自殺です」という熊谷警察署の警察官からの電話を受けた。
どうして? としか考えられぬまま、のり子は新幹線に飛び乗った。落ち着いて、落ち着いて、と必死に自分に言い聞かせながら。夜、勇士が住んでいたアパートの部屋で、のり子は変わり果てた我が子の姿と対面した。

「遺体は腐敗していました。肉という肉がこそぎ落ちて痩せ細り、目と口をかすかに開けたままで、まるで疲れて寝ている感じでした。首には電気コードの跡が黒い痣〔あざ〕になって残っていました。苦しくて苦しくて手を握りしめたのでしょう、指の爪が手のひらに突き刺さるように食い込んでいました。目と口を閉じてあげようとさすりましたが、体は冷たく硬くなっていて、目も口も閉じることはありませんでした。勇士の顔に私の顔を近づけると、声が聞こえてくるようでした。何を言いたいの、何をわかってあげればいい、何をしてあげればいい、と思うばかりで、あまりにも苦しく、心臓がきりきり痛みました」

遺書はなく、きれいにかたづいた部屋のホワイトボードに、「無駄な時間を過ごした」とだけ書かれていた。

勇士は1975年11月19日に東京で生まれた。2歳上の兄と2歳下の弟との3人兄弟であった。父親は放浪癖とギャンブル癖のため不在であることが多く、小学校教師をしていたのり子が女手ひとつで子どもたちを育てた。兄弟は幼い頃から家事を手伝い、母子4人で肩を寄せ合って暮らした。両親は勇士が中学生のときに離婚した。
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