処罰
集結所や労働鍛練隊で死ぬ思いをするほどの処罰を受けたと多数の難民が証言する一方で、二〇〇一年頃には、中国から送還されてから一週間ほどの取調べで釈放されたとか、処罰が若干緩くなったとかいう証言が増えはじめた。

食糧を求めて中国に渡河した単純「渡江者」(この語については、今後掲載するリャン・ギソクの解説を参照のこと)の場合、七縲怦黶Z日間ほどの調査で釈放されるケースもあったという、当時再度中国に脱出してきた人の証言を筆者は何度か聞いている。
送還された後の処罰は、中国に越境した目的、中国にいた期間などによって異なるようだ。
また、国際情勢や南北関係によって厳しくなったり緩やかになったりもしている。二〇〇一年六月の金大中―金正日会談の前後は、一時的に処罰が軽くなっていたという多くの証言があった。

二〇〇〇年前後から国際社会は北朝鮮の人権状況に厳しい目を向けはじめた。
主に支援食糧の配布の不透明さや、政治犯収容所の問題、そして中国から強制送還された脱北難民への過酷な処罰についての批判であった。
食糧を求めての単純「渡江者」と判断された場合の処分が緩やかになたのは、国際社会からの圧力の効果だと思われる。

EU諸国が北朝鮮と国交を正常化するにあたって、人権状況の改善を強く申し入れたことは、金正日政権に少なからぬ圧力になったことだろう。
また、北朝鮮難民流入に悩む中国は、越境の防止策を強化することとともに、過酷な処罰の中止することも、北朝鮮に再三申し入れているといわれる。中国から送還された脱北難民に対する過酷な処罰が続くなら、難民条約加入国として立場が悪くなるという判断だと思われる。
政治犯収容所や支援食糧の他への流用・転用の問題は、外部の目からはなかなか確認が困難である。

だが、送還者への過酷な処罰に関しては生き証人が大勢おり、北朝鮮当局も言い訳や反論が難しいということも、一時期処罰を緩くしていた理由なのではないか。

※二〇〇二年までの脱北難民の境遇については、拙著「北朝鮮難民」(講談社現代新書、二〇〇二年)を参考にされたい。

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