この中の5、7、8、9、10、11、12、13の8回、計18人の派遣が、防衛省公表資料から抜け落ちていた。
防衛省公表資料には陸・海・空自衛隊の区別は載っていないが、開示された行政文書によると、陸上自衛隊関連が9回・19人、海上自衛隊関連が1回・2人、航空自衛隊関連が4回・18人である。

防衛省公表資料では実施場所も伏せられているが、開示された行政文書では、一部を除き、実施場所がクウェートだったと明かされている。しかも、一覧表の4、5、6、14の派遣では、クウェートのアリ・アル・サレム空軍基地内で実施されたことがわかった。

アリ・アル・サレム空軍基地は米軍も拠点として使用し、航空自衛隊も同基地を拠点にしてイラク国内への空輸活動をおこなっていた。
また、2、3、7、8、9、11、13の派遣では、契約書や仕様書などに「納入場所」「納地」「実施場所」が「イラク復興支援群業務支援隊(クウェート)」などと書かれており、そこがクウェートの米軍基地だったと推測できる。

なぜなら、イラク派遣陸上自衛隊はキャンプ・バージニアなどクウェートの米軍基地を中継拠点にしていたからである。技術者を派遣した一部の企業も、整備作業の実施場所がクウェートの米軍基地だったと認めている。

このように、クウェートの空軍基地や米軍基地の中にまで、民間企業の技術者が自衛隊向けの業務で派遣されていたことが初めてわかった。そこは、イラクで戦闘を続ける米軍の後方基地である。
航空自衛隊の輸送機は多数の武装した米兵を運んでいた。陸上自衛隊も人道復興支援を掲げていたが、そのイラク派遣はイラク戦争を支持した日本の対米協力の証しとしての意味合いが濃かった。

そんなイラク派遣自衛隊を支えるために、民間企業の技術者がクウェートにある軍事基地に送り込まれていた。その事実は、日本の民間人が米国への戦争協力態勢にいかに深く組み込まれていたかを示している。
防衛省公表資料も、情報公開で開示された行政文書も、修理・整備などを実施した企業名は伏せている。

その理由を防衛省は、「企業名については、公にした場合、イラク特措法に基づく自衛隊のイラクへの派遣に反対する者等により、当該企業及び社員個人を標的としたテロなど違法な妨害活動が行われ、公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあるため、不開示」と説明する。

それにしても、いったいなぜ上記の8回分の派遣が防衛省公表資料から抜け落ちていたのか。国会議員に提出した資料がなぜ正確なものではなかったのか。
抜け落ちていた8回のうち7回は、「コンテナスキャナ定期巡回整備」と「車両搭載対策器材本体の据付・調整」である。どちらも、陸上自衛隊がイラクでの安全対策用に配備した米国製のテロ対策器材に関係している。

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