gilsu_001cover_m連載にあたって
「涙で描いた祖国 ~ 北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記」CD-ROM版(2001年刊)をウェブ用に再編集して順次掲載いたします。(文中のデータ等は、2001年刊行当時のままとしています)
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日本の読者に向けて
監訳者 石丸次郎 (記;2001年)
「涙で描いた祖国」は、2000年5月に韓国で出版された「涙で描いた虹」(文学手帳社)を、日本向けに翻訳・再編集し、さらにキルス一家が2001年6月末に北京の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に駆け込み・籠城の末、韓国に亡命を果たした経緯を加えたものです。

1995年頃から漂い始めた飢えという名の黒い雲は、やがて北朝鮮全土を覆い尽くし、地上を大飢饉の暗黒状態にしてしまいました。飢えと寒さと病気によって膨大な数の人が命を失ってしまいます。生き残った人々も食べ物を求めてさまようしかなく、故郷を捨て、家族と離れ離れにならざるをえませんでした。命を繋いでいくことが困難になった大勢の北朝鮮の人々は、96年末頃から、国境の川を越えて中国に逃げ出し始めました。「北朝鮮難民」の発生です。

【主人公のチャン・キルス(17)は、「難民少年画家」として韓国、英国で何度も紹介されていた。一家の中で真っ先に中国に脱出して居場所を確保し、残りの家族を次々に中国に呼び寄せた】 撮影:石丸次郎

【主人公のチャン・キルス(17)は、「難民少年画家」として韓国、英国で何度も紹介されていた。一家の中で真っ先に中国に脱出して居場所を確保し、残りの家族を次々に中国に呼び寄せた】
撮影:石丸次郎

韓国や日本の難民救援団体の調査結果と、私自身の1993年以来二十数回に渡る現地取材の経験から、私はその数は少なくとものべ50万人、現在も中国に隠れ住んでいる人は5~10万人に及ぶと推測しています。

しかし、彼ら・彼女らは闇夜に紛れて国境を越え、中国でもひっそりと隠れ住んでいるため、その正確な数は誰にもわかりません。

さて、それでは飢えと病気と圧制の恐怖の中を、北朝鮮の人々はいったいどのようにして生き長らえ、また亡くなっていったのでしょうか?残念ながら、私たちは隣人の苦しみについて具体的に多くのことを知らないでいます。

北朝鮮の人々は何を食べ、何を思い考え、日々どのように暮らしているのかについても、今まで私たちは多くを知ることができませんでした。

なぜなら、北朝鮮は情報統制の極めて厳しい国で、外国人が自由に旅行したり、民衆と接したり、ジャーナリストが自由に取材活動することが不可能だからです。したがって、未曾有の飢餓が伝えられても、その実態は視覚的にはほとんど真っ黒な状態のままでした。
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