ドキュメント デノミ断行の衝撃 その時民衆は(4) 整理 リ・ジンス
◎一二月七日
◆カンさん

清津市の公設の総合市場で様々な種類の化粧品が並んでいる。主に中国から輸入されたものを個人が仕入れて売る。(2004年7月 リ・ジュン撮影)

清津市の公設の総合市場で様々な種類の化粧品が並んでいる。主に中国から輸入されたものを個人が仕入れて売る。(2004年7月 リ・ジュン撮影)

交換も昨日で終わり、この日からは新紙幣しか使えない。そうした中、住んでいる江界市では、当局が中国元とウォンのレートを定めた。一元あたり六ウォンとのことである。貨幣交換直前のレートは一元が実勢レートで約六〇〇ウォンだったので、ちょうど百分の一になった算段だ。

この日も市場での取引は停止状態。誰も物を売ろうとしない。市場で食べ物を売ったり、自転車を修理したり、荷物運びなどをしたりして現金収入を得て、なんとか一日一日を乗り切っていた人々は、どのようにして暮らしているのだろうか。「貨幣交換」開始以前に買った食糧も尽きはじめているはずだ。

その心配は、思わぬ形で現実のものとなった。市場で食べ物と化粧品を売って生計を立てていた娘二人が家族と共に、わが家に転がり込んできたのだ。

市場が麻痺状態で商売にならず、どうにもならないのだという。瞬間、脳裏に「苦難の行軍」当時のことがよぎった。九〇年代後半、突如配給が途絶えて自力で生きていくことを余儀なくされたあの時、自分たちはどうやって生き抜いたのか。

食べ物を確保するのが第一だったではないか。あの時、食事を続けて四食抜くと、娘たちは起き上がることもできなくなってしまった。すぐに娘たちに向かって、手元の現金をすべて差し出すよう命じた。

そうして近郊の農村に向かうことにする。この時すでにトウモロコシの価格は三〇ウォンから四〇ウォン。「貨幣交換」前の三倍以上になっていた。さらにカンさんは娘の夫に向かって、家にあるカラーテレビを持ってくるように命じる。

テレビは無くても生きていけるが、食糧が無くては生きていけない。食糧と交換するのだ。そんなこんなして、当面はしのげるだけの食糧をひとまず確保することができた。

コメもどんどん値上がりしていた。「一〇〇分の一の価格で販売せよ」という中央からの指示にも関わらず、この日はキロあたり七〇ウォンで売られていた。これはやはり貨幣交換前と比べると三倍以上の値上がりである。こうした事態に、貨幣交換に対する庶民の評価は悪化の一途を辿っている。

負わなくても良い借金を負うことになった怒りも手伝って、カンさんの我慢も限界に達していた。家に帰ると娘と婿たちを前にして、
「ええい、どこのケーセッキ(犬野郎)がこんな馬鹿げた
ことを考えたんだ? くたばってしまえ!」
と、口汚く支配層を罵った。母の怒りを目の当たりにした子どもたちは、慌てて家の外の様子をうかがう。誰かに聞かれたら大変だ。
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