インタビュー 三人の女性が吐露する金正日体制への本音(4)

中国側から会寧市の全景を望む。金正日の母、金正淑(キム・ジョンスク)の故郷として街の整備などに格段の配慮が払われている。(2007年10月 リ・ヘヨン撮影)

中国側から会寧市の全景を望む。金正日の母、金正淑(キム・ジョンスク)の故郷として街の整備などに格段の配慮が払われている。(2007年10月 リ・ヘヨン撮影)

 

取材:石丸次郎/整理:リ・ジンス
■インタビュー 2 ウさん 上

「貨幣交換」当時のジャンマダン
ウ:会寧(フェリョン)市で商売している人で一〇万ウォン持っていない人はいませんから、(「貨幣交換」で)皆損をしたと思いますよ。

Q:「貨幣交換」後、各地のジャンマダン(市場)は正常に運営されていなかったということですが、ジャンマダンを政府は閉鎖してしまったんですか?
ウ:閉鎖したのではありません。自然に流通が止まってしまったんです。当初は人出があったし、品物もあったけれども、買うことができませんでした。売ってくれる人がいないものですから。私が思うに、会寧の売り台で商売をする人は基本一〇〇万ウォンのお金を動かしています。交換上限が一〇万ウォンだから、自分たちのお金をどう処分できるのかも分からないのに、品物を売ってまでさらに現金を増やそうとはしなかったのでしょう。

Q:どんな雰囲気でしたか? 先の見えない中で。
ウ:「貨幣交換」が始まったばかりの頃は、皆、どうなるのかと心配する程度で、まだそんなに深刻な状態ではありませんでした。コメの値段が上がり始めてからは失望が広がっていきました。

Q:米国が人工衛星を使って「貨幣交換」の日からずっとジャンマダンを注視していたそうですが、全国の市場ごとに大勢の人が集まっていたそうです。韓米の情報当局は、もしかしたら暴動が起こるかもしれないと思って緊張していたそうです。実際、人がたくさん集まって騒いだりということはありましたか?
ウ:「貨幣交換」は一斉に公表されたので、農村の人も含めて皆知るところとなりました。それでとりあえず一番情報の早いジャンマダンに集まってきたのだと思います。当初は人が確かに大勢出ていましたよ。

でも朝鮮人の中に、暴動を起こそうとする人はいませんよ。弾圧があまりに厳しいですから。とにかくジャンマダンに人がたくさん集まって、がやがやと話をしていました。皆、不満があったとしても、処罰が怖いので公に抗議したりはしませんけれど。

Q:人が集まることについて、何か取締りはありませんでしたか?
ウ:「集まるな」と、保安員(警官)たちが人々を追い払っていました。「追ってきちんとした措置があるから、出てくるな」と。それでも三々五々集まって話をしていました。

コメ価格の上昇に直面する人々
Q:コメの値段が上がるにつれ、失望が広がっていったとのことですが、コメの値段が上がり始めるまではどうだったんですか?
ウ:歓迎する人たちもいたんですよ、最初のうちは。そういう人たちは、「貨幣交換」をすることで、政府が貧しい人と富める人を平らにしようとしているのではないかと思ったからです。

交換に上限を設けていたから「ああ、皆一緒に暮らそうということなんだ、これは良いことなんじゃないか」と。金持ちが大きな顔するのを見なくて済むとすれば気分もいいでしょ。

Q:だがコメはどんどん値上がりしてくる。
ウ:朝鮮ではとにかくコメなんです。だから私もコメの値段に一番神経を使っていました。最初はキロ当たり二〇ウォンで売られていました。二〇〇〇ウォンがそのまま百分の一の二〇ウォンになったのですが、なんだかとても安く思えましたね(苦笑)。

その時のジャンマダンでは、売り子たちがなかなか物を売ってくれず、買いに来る人もそれに従って少なくなっていきました。それが何日か経つと、売り子は皆、さらに売り控えるようになりました。
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