解説 金正日政権のデノミの真の狙いは何か 4  石丸次郎

平安南道平城(ピョンソン)市の路地で、中国製の電線やコード、紐を販売している。庶民の暮らしはジャンマダン(市場)での商売を中心に回っている。いわば国民のほとんどが「市場勢力」なのだ。(2007年10月 リ・ジュン撮影)

平安南道平城(ピョンソン)市の路地で、中国製の電線やコード、紐を販売している。庶民の暮らしはジャンマダン(市場)での商売を中心に回っている。いわば国民のほとんどが「市場勢力」なのだ。(2007年10月 リ・ジュン撮影)

 

「新興富裕層」叩きが狙いなのか?
増殖する一方の市場経済に対する統制が、デノミの目的のひとつだということに疑いないだろう。市場経済の拡大は、国民が経済活動の自由領域をどんどん広げていることを意味する。

それは金正日政権の独裁維持の要である人民の管理統制が弱体化しているということに他ならない。つまり、市場経済のこれ以上の発達は、体制維持にとって脅威だとの判断があって、デノミという強攻策によって、市場経済の仕組み自体に一定の打撃を加える政治的意図があったものと思われる。

韓国のメディアでは、この市場経済の拡大に伴って出現した「新興富裕層」「市場勢力」に打撃を与えることが主たる目的のひとつだという論調が頻繁に登場した。一見面白い視点に思えるからか、日本のメディアも追従して「新興富裕層」「市場勢力」という言葉を真似してよく使った。

しかし、ここで言う「市場勢力」とは誰のことを言うのだろう。「北朝鮮式社会主義の経済システムから離れて、もっぱら市場での活動で生計を立てている人」という意味であれば、今や北朝鮮国民の七〇%以上は「市場勢力」である。

「市場勢力」でないのは、場所としてではなく、機会としての市場からもっとも距離が遠い人たちだ。協同農場員、統制が厳しく商売がしづらい軍需工場の労働者、山奥にある鉱山の労働者などである。

農場は売るものといえば農産物しかないが、収穫の多くを軍糧米や首都米(首都平壌の住民に優先配給するためのコメ)として取り上げられ、規定の分配にはるかに足りない分しか残らず、それを売れば飢えるというぎりぎりの状況を長く強いられてきた。

軍需工場の場合は、国家の優先順位の高い産業であるため、食糧配給が何とか維持されてきた。その代わり、出勤を強く強制され、市場に出ることが簡単ではない。言い換えるとこの一五年ほど、北朝鮮でもっとも貧しい層は、このように市場に参加できず国家の統制を強く受けている人々なのである。

トウモロコシやジャガイモと雑穀混じりの幾ばくの食糧をもらえても、現金を得る術がない。規定の月給は一五〇〇~三〇〇〇ウォン程度で、これで市場に行って購入できるのは、白米〇・七~一・五キロほど。人間は生きていくためには、石鹸も要るし下着も要る。

病気になれば薬も買わねばならないし、子どもの教科書すら市場で買う時代だ。ゆえに、労働の対価として食糧配給を受けることができる代わりに、市場活動へのアクセスが困難の人たちこそが、もっとも貧しかったのである。

「配給は要らないから自由に商行為をさせてほしい」というのが、北朝鮮の庶民から耳にたこができるほど聞かされてきた切実な願いなのである。
では、保安員(警察官)はどうか? 九〇年代飢饉の時も、警察官は家族の分は切られ、質的量的低下はあっても本人分の食糧は配給されていたという。
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