第7回 寂しい休岩洞のアパート街の中へ
リ・ソンヒは休岩(ヒュアム)洞の寂しい大通りを歩いて行く。ぽつんと立っているのは「便宜商店」は閑散。休岩中学校の校庭には生徒たちが見える。ギターを持っている生徒の姿も。さらに行くと勇ましいスローガンをたくさん書かれた看板に行き当たった。
(撮影 リ・ソンヒ 平壌・休岩洞 2008年12月 01分59秒)

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九〇年代後半の社会混乱の中で、平壌でも多くの餓死者が発生した。その後も今日まで経済の復旧は成らず、最も優待される平壌ですら食 糧配給は遅配欠配が日常茶飯事である。政府の言うことを聞いて配給だけを待っていたのでは飢え死にしてしまう。そんな中で平壌市民たちも、めいめいが創意 工夫して商売に立ちあがった。

寒空の下で、質素な防寒着姿で地べたに座ったり立ったりしたまま商売をしている女性たちを「貧しく可哀そう」な人たちだと見ると、北朝鮮社会を見誤 ることになる。彼女たちは統制が厳しい平壌にあって、経済的に自立して暮らしていくことができる唯一の方法である商売を、しんどいながらも喜んでやってい るのだ。それは、働けば働いただけ実入りが増えるからであり、商売こそが豊かになれる唯一のチャンスだからだ。彼女たちの働く姿は、一定の「経済活動の自 由」を勝ち取って懸命に生きている姿だと捉えるべきだろう。

これまでメディアを通じて我々が見せられてきたのは、特別な平壌、あるいは例外の平壌である。今回のリ・ソンヒの報告にある「一号道路」の外側の民衆の姿にこそ、平均的で平凡な平壌市民の暮らしが見えるはずだ。
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動画 (01分59秒)  (C)ASIAPRESS

20110405pyonura_07_01地区の「便宜商店」。協同組合で作った北朝鮮版の「コンビニ」のようなものだ。棚にはパンや調味料などの食品が並んでいる。

 

 

20110405pyonura_07_02休岩洞事務所の掲示板。上の標語は「思想の観点も、闘争の気風も、生活の方式も先軍の要求どおりに!」という「先軍政治」の宣伝。下には「党の主張を支えよう」「活発な群衆文化美術活動」などとある。

 

 

平壌東部の地図(写真)[google Mapより] 画像上のボタンを使って操作できます。

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九〇年代後半の社会混乱の中で、平壌でも多くの餓死者が発生した。その後も今日まで経済の復旧は成らず、最も優待される平壌ですら食糧配給は遅配欠配が日常茶飯事だという。
政府の言うことを聞いて配給だけを待っていたのでは飢え死にしてしまう。そんな中で平壌市民たちも、めいめいが創意工夫して商売に立ちあがった。

寒空の下で、質素な防寒着姿で地べたに座ったり立ったりしたまま商売をしている女性たちを「貧しく可哀そう」な人たちだと見ると、北朝鮮社会を見誤ることになる。
彼女たちは統制が厳しい平壌にあって、経済的に自立して暮らしていくことができる唯一の方法である商売を、しんどいながらも喜んでやっているのだ。それは、働けば働いただけ実入りが増えるからであり、商売こそが豊かになれる唯一のチャンスだからだ。

彼女たちの働く姿は、一定の「経済活動の自由」を勝ち取って懸命に生きている姿だと捉えるべきだろう。

これまでメディアを通じて我々が見せられてきたのは、特別な平壌、あるいは例外の平壌である。今回のリ・ソンヒの報告にある「一号道路」の外側の民衆の姿にこそ、平均的で平凡な平壌市民の暮らしが見えるはずだ。
平壌(ピョンヤン)――そこは、指導者金正日総書記が住む朝鮮民主主義人民共和国の「革命の首都」であり、首領故金日 成主席の生家のある「聖地」である。それゆえ、平壌は常にソウルよりも美しく発展した都市でなければならなかったし、そのように見えなければならなかっ た。塵一つ無い広々とした通りと広場、整然とした高層アパート群、そしていつも笑顔で幸福そうに街を歩く清楚な身なりの人民たち......。

これまで外国メディアや観光客が訪れて目撃、撮影した平壌の姿も、こういった北朝鮮当局が伝えるものと大差なかった。外部の者には、平壌の中を自由 に動き回るチャンスは微塵もなく、原則として金正日がお通りになる「一号道路」の内側の姿だけしか見ることが出来なかったからだ。

本誌記者のリ・ソンヒは、2008年の12月と2009年の1月、「一号道路」の外側に広がる平壌の日常を撮影することに成功した。外部世界の者がこれまで見ることのできなかった「意図的に隠されてきた」空間をお伝えする。
一号道路について

金正日が直接関わる事項に対しては、すべからく「一号」という接頭語が付される。例えば「一号行事」と言えば、金正 日が直接参加する行事のことで、「一号列車」は金正日が乗る列車のことだ。「一号道路」とは金正日が通る道路である。これらの道路は、常に舗装され、きれ いに整備されていなければならないことになっている。平壌の中心部を走る「一号道路」の内側のエリアは、どこを見ても美しく整備された光景だけが目に飛び 込んで来るように設計されているので、平壌を訪れた外国人は、写真でもビデオでも大した制約なくそこを撮ることができる。

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