原爆慰霊碑には「過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。戦争や放射能に苦しまない世界を築くことを毎年誓い続けたはずではなかったか。(撮影:玉本英子/FILE)

 

玉本英子 現場日誌
8月6日。
毎年、この日、惨禍が二度と起きないようにと、広島で、日本で、そして世界のどこかで、人びとは思いを新たにしてきたはずだった。
いつの日か、戦争や放射能に苦しまなくていい時代がきっとやってくると、誰もが願ってきた。
ことし、放射能が日本の緑豊かな大地と青い海にふたたび降りそそいだ。

爆撃機で誰かに落とされたのではない。それは、科学の進歩と平和のための技術を信じた自分たち自身の手で作り出したものだった。
だが、それを自らの手で扱うことができなくなったとき、神様ならなんとかしてくれるとでも思っていたのだろうか。

悲しみは、風に運ばれ、福島を越え、日本を越え、いま、世界に広がっている。
世界に知られたヒロシマ・ナガサキに、ことし「フクシマ」の名が加わった。
「過ちは繰返しませぬから」

広島の慰霊碑に刻まれた言葉。大人も、子供も、慰霊碑の前で、その言葉を誓ってきた。
被爆1世の老人たちは、あの日の記憶を声をふりしぼるようにして語り継いできた。そこにいままた、放射能の雲が空を覆うという現実が起きたことに、胸が締めつけられる思いだ。

原爆症認定訴訟、薬害訴訟、公害訴訟。国家は決して自身の責任を認めない。原発事故の責任もいつのまにか見えないところへ消え去るだろう。
被爆2世である自分や、この時代をともにする人びとは、福島の原発事故とどう向き合うべきなのか。その責任を、企業に問い、国に問い、そして自身に問わなければ、また同じことが繰り返される。

降りそそぐ放射能を拒否するすべを持たない子どもたち。
かれらの生命を、そして未来をつないでいくために、私たちに何ができるのか。
何をしなければならないのか。
ヒロシマは、フクシマにつながっている。
(玉本英子)
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