2 大城(デソン)区域と大城市場[3]

2008年12月取材
取材:リ・ソンヒ/解説・整理:リ・ジンス/解説協力:リ・サンボン(脱北者)

◆収買商店

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大城市場近くにある工業品収買商店の入口。

大城市場近くにある工業品収買商店の入口。

 

大城市場近くに「収買商店」と書かれた建物があった。リムジンガンの記者たちや、リ・サンボン氏の証言を総合して、この収買商店について説明しておこう。収買商店には「食料品収買商店」と「工業品収買商店」がある。「食料品収買商店」では外国産の食品や食用油などが、「工業品収買商店」では中古テレビ、電子機器、家電、海外の雑貨などが主に売られている。リ・サンボン氏によると、品物の九割は中国から来たものだという。

もともと収買商店とはその名の通り、国が個人から買い上げた品物を売る商店だ。北朝鮮では長く個人間でモノを売ったり買ったりする行為は厳禁とされてきた。配給制に基づいて消費物資を販売する国営商店が流通の基本であった。少量の農産物は農民市場で売ることができたが、量が多くなると、食品収買商店に委託することが義務付けられた。

また、日用雑貨や衣服などの工業製品も個人で持っているものを勝手に販売できず、工業品収買商店に委託させられていた。
だが、この収買商店は闇市場が全国に拡大するなかですっかり性格を変えていった。主に華僑が中国で仕入れてくる海外製品を買い取り、一般の住民に販売するようになったのだ。また、外貨稼ぎ機関が輸入したり、合弁生産したパソコンやDVDプレイヤーなどの高級電子機器も工業品収買商店で売られるようになった。

運営しているのは、建前上は人民委員会の中の商業管理課だが、実質的には権力や地位のある個人や外貨稼ぎ機関などが経営して、売り上げの一部を政府機関に納めている。リ・サンボン氏によると、咸鏡北道会寧(フェリョン)市の場合では売り上げの四〇%を国に納め、残りが運営側の取り分だったとのこと。会寧では二〇〇二年ころから三つの収買商店が運営されるようになったが、内二軒は華僑の運営だったという。
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