平壌に電力を供給する火力発電所で使用される石炭が、外貨獲得のため輸出用に回されているのがその原因で、電力がないため水道が出ない。また記録的な寒波となり、住民は大変な苦労を強いられたという。

北朝鮮政府は二〇一〇年、平壌市を縮小した(注1)。江南(カンナム)郡、中和(チュンファ)郡、祥原(サンウォン)郡、勝湖(スンホ)区域を切り離し黄海北道に編入したのだ。(記事「半分に削られた首都平壌」を参照。これにより、面積では約半分が、人口では約一割にあたる約三二万人が「革命の首都」を離れることになった。特別な地域として食糧配給や電力供給が優遇されていた平壌も縮小せざるを得ないほどに、北朝鮮政権の財政事情が悪化しているということなのだろう。

もっとも、このような経済環境の悪化が平壌市内の市場に及ぼす影響は、あまり大きくないと思われる。なぜなら、撮影者のリ・ソンヒ自身が述べているように、撮影当時すでに「平壌市民の七割以上が」配給に頼らず、市場活動によって生活をしていたというからだ。この割合は増えこそはすれ、減ってはいないだろう。

二〇一〇年七月の編集部の中国取材の際にも、平壌から来た五〇代の男性が「これまで平壌市民にはひと月あたり一〇日分の食糧配給があったのに、七月から九月までは『自力で食糧問題を解決するよう』指示があり、配給が途絶した。私が勤める企業所の給料も三月から出ていない」と語った。どうやって暮らしていくのか、との問いには「商売で生きていくほかにないでしょう」と答えた。北朝鮮式社会主義の衰退は平壌にも及び、逆に市場経済は拡大する一方のようである。
(おわり)

注1 具体的にどの時期に平壌市が縮小されたかは明らかになっていない。だがキム・ドンチョル記者は二〇一〇年三月の時点で、編集部に縮小措置について伝えてきていた。

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