立岩陽一郎(ジャーナリスト)

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【連載開始にあたって編集部】
新聞、テレビなどマスメディアの凋落と衰退が伝えられる米国。経営不振で多くの新聞が廃刊となりジャーナリストが解雇の憂き目にさらされるなど、米メディアはドラスティックな構造変化の只中にある。 いったい、これから米国ジャーナリズムはどこに向かうのか。米国に一年滞在して取材した 立岩陽一郎氏の報告を連載する

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第2章 非営利ジャーナリズムの夜明け
◆チャールズ・ルイスというジャーナリスト

ルイスは現在、ワシントンDCにあるアメリカン大学(American University)に在籍している。その大学院で教授を務めると同時に、大学院に併設されたIRW(Investigative Reporting Workshop)で代表を務めている。

CBSテレビの看板番組のプロデューサーを辞めて設立したCPI。そのCPIは前回伝えた通り、「The Buying of the President」などの調査報道で一躍その名を知られるようになった。しかしルイスはCPIが軌道に乗ったことを確認した後、去っている。それは何故なのか。そして今、ルイスは何を考えているのか。

ルイスに会いにアメリカン大学に向かった。2010年の8月のことだった。アメリカン大学はワシントンDCの中心部から地下鉄レッドラインに乗って15分ほどのところにある。頭文字をとってAUとされた駅で下車し、そこから専用のシャトルバスに乗れと教えられていた。

バスに乗って直ぐに、ここがワシントンDC郊外の高級住宅街であることを理解した。美しい芝と街路樹。外交官の邸宅らしきものが並ぶ。ふと見ると、日の丸のはためくとてつもない敷地が目に入った。後で聞くと、日本大使公邸だった。

そうこうしているうちに、ギリシャの神殿のような建物群が目に入ってきた。アメリカン大学のメインキャンパスだった。
この大学は文系の単科大学だ。政治と法律の勉強に力を入れているのは、ワシントンDCという立地条件を考えれば当然かもしれない。特に、法科大学院とコミュニケーション大学院が知られており、ルイスが在籍するのはコミュニケーション大学院だ。

余談だが、核の時代にはソビエトもアメリカも運命共同体であるというケネディー大統領の歴史的なスピーチがこの大学で行われている。
メインキャンパスから少し離れた場所に、IRWはあった。赤レンガの建物にはコミュニケーション大学院の関連機関やアメリカン大学の財務部門が入っていた。そのオフィスの大部屋で待っていると、ルイスが到着した。

「待たせたかな?申し訳ない。さぁ、私の部屋に入ってくれ。何も無い部屋だが。きょうは1時間しかないけど、いいかな?」
多忙なルイスだ。大学院の教授としてよりも、IRWの代表として動きまわることが多いとのことだった。

「それと、出版社と契約しているジャーナリズムの本がなかなか書き終わらなくて、このままだと出版社から訴えられかねない。だから、可能な限り家で執筆活動をしているんだが、それでも人と会わねばならなかったりもして、なかなか進まない」
ルイスは椅子に座るなり、おどけた表情で首を切られるというポーズをとった。

部屋は簡素なものだが、壁にはCBSのプロデューサー時代の写真などが飾られている。CPIの風雲児として取り上げた雑誌の表紙のようなものも見られた。

ルイスとはどういう人物なのか。その時の取材メモから書き起こしてみよう。出身はアメリカ東部の小さな州、デラウェア。地元のデラウェア大学を卒業した後、ワシントンDCのジョンズ・ホプキンス大学国際関係大学院へ進む。この大学院が外交官要請機関として知られることは既に書いた。そこでルイスはチリの政治について学ぶのだが、ルイスは外交官への道は進まない。

卒業後、3大ネットワーク(大手民放)の1つ、ABCテレビのワシントン支局で記者となる。当時の支局長はカール・バーンスタイン。ウォーターゲート事件をスクープした花形記者だ。ルイスはバーンスタインに調査報道の手ほどきを教えられたという。

「カールは支局長らしくない支局長で、行政的な仕事は一切しなかった。常に現場の記者と同じように考え、現場の記者としてものを考えていた。結果的にそれがABCの幹部の考え方と合わずに辞任に追い込まれるのだが、私にとっては良いお手本だった。調査報道のカリスマのような人物から直接、調査報道について教わることができた貴重な機会だった」

ルイスは6年間ABCでの記者をした後、CBSに移り、看板調査報道番組「60ミニッツ」のプロデューサーになる。そこで5年間を過ごし、11本の番組を作る。そのうちの2本はエミー賞を受賞したという。しかしCBSの考え方に不満を抱き辞める。

このCBSを辞める経緯は様々な要因が複雑に絡み合っていて、ルイスも状況に応じて説明を変えているので、本当のところは明確ではない。ただ1つ言えるのは、ルイスが大手メディアの調査報道に限界を感じていたということだ。

その限界を感じる経緯は、その時その時に起きた軋轢の積み重ねだったようだ。それについては、後のルイスのジャーナリズムについての考え方のところで触れたい。

余談だが、CBSに移籍するきっかけはロウ・バーグマンだったと言う。ロウ・バーグマンについては既に「ウィっキーリース」の章で伝えているが、映画「The Insider(邦題「インサイダー」)」でアル・パチーノが演じたCBSのプロデューサーだ。このロウ・バーグマンはルイスの兄貴分的な存在で、現在は西海岸を拠点に調査報道を実践している。

当時のルイスは30代前半。既に子供もいる。不安は無かったのだろうか。誰が思う疑問をぶつけてみた。
「普通に考えたら不安なのだろうけど、30代の若者にはあまりそういう感覚はぴんと来なかったのかもしれない。不安は無かった」

ルイスがCPIを設立したのは、CBSを辞めて直ぐだ。順風満帆といった状況でなかったことは、前述したCPIのパーティーのエピソードでもわかる。活動拠点は首都ワシントンDCしかないとしながらも、最初から事務所を構えたわけではない。隣のバージニア州アレキサンドリアにあった自宅を担保に借金をし、そこを事務所にした。

しかし自宅を事務所にしていては信頼が得られないとして、ワシントンDC内の郵便局に私書箱を置いた。父親の状況に不安を感じた当時8歳の娘に郵便局の建物を見せて、「ここがパパの新しい職場だよ」と言って安心させたというエピソードも既にお伝えした通りだ。

しかしルイスはCPIの評価を上げて行く。「The Buying of the President」については前回触れたが、同じ手法で連邦議会選挙が巨額の献金によって動かされる状況を明らかにした「The Buying of Congress」も話題となった。

2003年に、イラク戦争でのアメリカ政府の軍関係の契約のほとんどがハリーバートンとの間で結ばれていた事、このハリーバートンと当時のディック・チェイニー副大統領と極めて近い関係に有る事を暴いて注目されている。

2005年、CPIは既に調査報道専門の報道機関として認められる存在となっていた。事務所もホワイトハウスに近いビルに移っている。8歳の娘にも、「ここがパパの新しい職場だ」と十分に胸をはれるものだ。しかしルイスはこの年、CPIを辞める。

「CPIを私個人のものではなく公的なメディアに育てる必要が有った。それにはチャックのCPIではダメだ。私の存在と離れたところでCPIはしっかりと存在してくれないといけない。そう思ってCPIを離れた」。
(続く)