立岩陽一郎(ジャーナリスト)

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【連載開始にあたって編集部】
新聞、テレビなどマスメディアの凋落と衰退が伝えられる米国。経営不振で多くの新聞が廃刊となりジャーナリストが解雇の憂き目にさらされるなど、米メディアはドラスティックな構造変化の只中にある。 いったい、これから米国ジャーナリズムはどこに向かうのか。米国に一年滞在して取材した 立岩陽一郎氏の報告を連載する

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第2章 非営利ジャーナリズムの夜明け
◆調査報道ワークショップ

調査報道ワークショップ。英語では、Investigative Reporting Workshop、仲間内では略してIRWとかThe Workshop呼ばれる。チャールズ・ルイスがワシントンDCのアメリカン大学に作った機関だ。

前述の通り、CPIを辞めたルイスは暫くハーバード大学ケネディースクールでメディアの在り方について研究している。
その研究の中で得た1つの答えが、このIRWだった。IRWもNPO、非営利ジャーナリズムという意味ではCPIと同じだ。しかし大きく異なる点が1つある。それは大学の付属機関であるという点だ。

IRWは前述の通り、アメリカン大学のメインキャンパスから少し離れた大学の建物に入っている。メインオフィスに入ると直ぐに目に飛び込んでくるのが、映画「大統領の陰謀」のポスターだ。ワシントン・ポストの記者に扮した若き日のロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが取材に向かう有名なシーンが出迎える。

その奥へ行くと映画「インサイダー」のポスターも貼られている。CBSテレビの看板番組「60ミニッツ」で実際に起きた特ダネ番組の放送中止を描いた映画であり、ABCテレビ、CBSテレビにわたってルイスの兄貴分だったロウ・バーグマンの活躍を題材にしたものだということも既に書いた。

いくつか個室が有り、ルイスの他、3人のエディターと会計責任者、それに何人かの上級記者は個室を持っていた。その他の記者は大部屋にそれぞれのデスクとパソコンを置いて作業をしていた。上級記者はキャリアを積んだジャーナリストだ。大部屋で仕事をするのはアメリカン大学の大学院生や、大学院を卒業したばかりの若手ジャーナリストだった。

2010年8月23日、私はメインオフィスで開かれた年度始め(アメリカの大学の始業は8月後半から9月頭)の編集会議に参加させてもらった。
ルイスは冒頭、メンバーを前に次の様に話した。

「この数年で新聞や放送で解雇されたジャーナリストの数は12000人という数字がある。実際はそれ以上かもしれない。しかし問題はそこにはない。私が懸念するのは、その同じ
期間に、企業のPR担当者がその倍に増えていることだ。それは良くない」
「それは良くない」。ルイスが多少おどけた表情で、「That's too bad」と言うと、ワークショップのメンバーは同意するかのように苦い笑いを示した。更にルイスは続けた。

「我々は更に、調査報道に力を入れる。Don't let the busters intimidate you」。
このDon't let the busters intimidate youという言葉はルイスがCPIを作った際に、記者憲章のような形で書き残した表現で、「あいつらに寝首をかかれちゃいけない」というような意味の様だった。

この「あいつら」「busters」は政治家だったり官僚機構だったり、企業のPR担当者だったりと、その時その時でいろいろと変わるようだったが、要は、「あいつら」をのさばらしてはいけないということだ。

編集会議では、各自が行っているプロジェクトなどの報告も行われた。目立ったのは、大手メディアと連携したプロジェクトだ。アメリカ公共放送PBSの報道番組「フロントライン(Frontline)」や、ワシントン・ポスト、MSNBCなどとのプロジェクトが進行中ということだった。

ワークショップに参加しているのは、アメリカの大手メディアを休んだり辞めたりして来た記者やテレビ・ディレクター、それにアメリカン大学院の学生ら。それぞれのテーマで取材活動を行っている。その個々の取り組みについては後述したい。まずは、このIRWのコンセプトについて述べる。

このIRWの設立は、アメリカン大学コミュニケーション大学院で院長のラリー・カークマン(2011現在)の強い働きかけによるものだった。カークマンは次の様に話した。

「アメリカの新聞は金を失い、そして読者を失い始めていた。テレビの経営状態はさほどひどくはなかったが、ニュース部門の縮小は見ていて明らかだった。その最大の被害者は調査報道だ。調査報道こそアメリカのジャーナリズムの根幹であり、腐敗する権力を監視する民主主義の監視人なのに、大手の新聞社でさえ、著名な調査報道記者を解雇し始めていた。

これは何とかしないといけないと感じた時、それを出来るのは非営利によるものであり、その受け皿に我々大学がなろうと思った」
調査報道の受け皿を大学に作る。そう考えた時、その形式はNPOであり、その代表にと思い描いたのはルイスだった。カークマンはルイスに、次のような提案をしたという。

「ジャーナリズムの保育器と言おうか、ジャーナリズムを育てる機関を作りたい。それはプロフェッショナルなものでなければならない。現実にジャーナリズムを実践するものでなければ意味は無い。そして更に、実験的なもの、先駆的なものでなければならない。それと同時に、大学院にある以上は、研究的な機関でもなくてはならない。その代表を君にお願いしたい」

前述の通り、ルイスは当時、ハーバード大学ケネディーセンターで客員研究員として非営利ジャーナリズムの更なる可能性について研究していた。カークマンのオファーはルイスにとってどう映ったのか。ルイスは次の様に語った。

「非営利ジャーナリズムはまだその財政基盤が盤石とは言えない。それは私が作ったCPIにしても同じだ。常に我々は財団からの寄付を得る為に奔走しなければならない。しかし大学の保護下に置かれると、状況は異なる。寄付を集める必要は有るが、はるかに余裕が有る。それに、若くて優秀な大学院生を使えるのも魅力だ。勿論、大学院生を使うのにお金はかからない」

ルイスは再び、新たな挑戦を始めることになった。それは2008年のことだった。