新宿ニコンサロンの写真展は裁判所の仮処分決定を経て何とか開催されたが、大阪では中止になった。右翼団体の激しい攻撃を受け続ける写真家の安世鴻さんが手記を寄せた。

◆練馬区での写真展にも右翼団体での抗議が
新宿ニコンサロンでの写真展を開催中、永田浩三・武蔵大教授から、「練馬でこの写真展をぜひ開きたい」という誘いがあった。後に知るのだが、永田氏は元NHKプロデューサーで、あのETV番組改変問題当時の担当だったという。

新宿ニコンでの展示終了から2カ月後、都内では二度目の写真展が練馬区内の「ギャラリー古藤」にて企画された。8月28日から9月9日まで、特に地元在住の市民でつくる団体「練馬・文化の会」のメンバーの力によって写真展開催が企画された。新宿ニコンサロンでの非常識な写真展に憤り、正常な形での写真展を開くという趣旨のもとで、実行委員会が形成された。開催中は、連日様々なゲストを招きながら、ニコンサロン中止の背景や、「慰安婦」問題、表現の自由についてなど、多様なテーマでトークイベントが開かれた。

しかし、この写真展もやはり、右派団体の抗議を避けられなかった。「在特会」(在日特権を許さない市民の会)などの抗議が予想される中、ボランティアによる自主警備も組織された。ただ、永田氏は「どんな抗議や嫌がらせが来ても、心配いりませんよ」と常に話していた。
開催最終日になって、在特会メンバーら約20人がギャラリー前に集まったが、警備担当ボランティアたちが、彼らの抗議活動を抑え、写真展を最後まで続けることができた。素晴らしいチームワークと勇気ある市民たちの力で、13日間に約1300名の観客が訪れるという大盛況だった。

◆大阪ニコンサロンの中止決定に抗議
一方、大阪ニコンサロンでの写真展は、12年5月15日の時点でニコンサロンから開催通知が届いていた(ニコンでは「アンコール写真展」という呼称で9月13日から1週間開催予定だった)。しかし、これについても5月22日の電話で同じく「中止通告」を受けている。
私はニコン側に何度も予定通りの開催を要請したが、ニコンは回答をせず、時間を引き延ばしていた。最終的に8月30日に代理人弁護士を通して内容証明郵便で"最後の"要請と回答を迫り、9月5日にニコンから回答を受け取った。

その内容は、大阪ニコンサロンでの写真展開催については、「当社としては安様に同サロンをお使いいただくことはいたしかねます」という回答で拒否姿勢を貫き、公式的な謝罪や損害賠償等についてのこちらからの要請も、すべて「お受けいたしかねます」という返答だった。
私自身は大阪のアンコール写真展は、新宿ニコンサロンのような、法的な仮処分命令を受けてではなく、ニコン自らが考えを改め、正常な雰囲気のもとで開催したいと願っていた。

関西地方在住の人たちが待っている中、このまま開催を諦めることは多くの人々を失望させることになる。別の会場をすぐに探し回ったが、すでにどこも今年のスケジュールは一杯であり、同じ時期に展示会場を押さえるのは難しかった。
そこで、元共同通信カメラマン・新藤健一氏の協力を得て、12年10月11日から16日という短い期間だが、大阪市内の心斎橋にあるギャラリーをなんとか借りることができた。

開催まで一か月も無い状況の中、アジアプレス大阪事務所代表の石丸次郎氏や藤井幸之助氏(コリアン・マイノリティ研究会世話人)ら、地元の有志たちがチームを組んで対応してくれることになる。橋下大阪市長がいる市役所で記者会見も行い、写真家の樋口健二氏や映画監督の原一男氏ら約90名が呼びかけ人となった「抗議声明」も発表された。
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