◇責任はメディアにも
R:小出さんは2年半前から、タンカーで汚染水を運ばなければ溢れると言ってきましたが、実現せずに残念なことになっています。
小出:私の提案が仮に取り上げられていたとしても、いずれにせよ困難な事態になっているとは思いますが、2年半前にこの提案が受け入れられていたのであれば、少しはましな事態になっていただろうと思いますので、私としては大変無念に思います。

R:メディアを見ていると急に汚染水が問題になったように感じるのですが、小出さんはどう感じますか?
小出:確かに、汚染水問題というのは今、突然降って湧いたかのようにメディアが取り上げ始めていますが、私から見ると、冗談を言わないで下さいと思いました。
汚染水問題というのは、事故が起きた2011年3月11日から本当はずっと続いていたのです。4月の初めに、ピットというコンクリート構造物が港に突き出している部分から、汚染水が海に向かって流れているのがたまたま目で見えたものですから、それは大変だということで東京電力は苦労してピットの割れ目を塞ぎました。それで何か汚染水問題が終わってしまったかのように、マスメディアは今日までずっと沈黙を続けてしまったのです。
でも、たまたま目に見えた割れ目を塞いだだけで、汚染水が完全に止まる道理がない。もうそこら中から汚染水は海に向かって流れてきていたのです。2年数ヶ月の間、ずっと流れていたのに、マスメディアが何も取り上げないで来てしまったということです。メディアというものはどういう役割を負っているのか、私は皆さんに聞いてみたいと思います。

R:私たちメディアにも、見て見ぬふり、問題を先送りするという体質があると思います。大変厳しい状況であっても、それを伝える責任があることを、私たちも引き受けていかなければいけません。
小出:そうですね。今、汚染水を貯めているタンクはちゃんとしたタンクではありません。溶接をしてタンクを作らなければいけないけれども、鋼板を貼り合わせてボルトでとめて水漏れを防ぐというような構造になっているわけです。そういうものからは必ず漏れてしまうということは、メディアの方々もご存知だったはずです。何か専門的な知識が必要というものではありません。マスメディアという立場にいるならばもっときちんと考えて頂きたいと思いました。
原子力を推進してきた東電、政府、学会、メディア。そして国民。それぞれに追うべき責任があるだろうが、本来何からなされるべきだったのかという順序を今一度考えてみる必要がある。時間が過ぎれば過ぎるほど、時をさかのぼって考えることは難しくなり、言葉だけで「責任を持つ」と、声高に叫ぶ者たちの思うままになってしまうだろう。
※小出さんの音声をラジオフォーラムでお聞きになれます。

「小出裕章さんに聞く 原発問題」まとめ

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