◇ 保守的なユタ州

私が在籍した当時も、この新聞社にはピートや、サーカスを追っかけたそのカメラマンのようなワイルドな人間が多く出入りしていた。住人の中にも、こ の辺り の自然に魅せられて移住してきた「自由人」が少なからずいた。しかし彼らは圧倒的に小数派だった。モルモン教徒が作った街だけあって、ローガンは保守的で 排他的な土地柄であることが次第に分かってきた。「どこの教会のメンバーですか?」というフレーズが挨拶代わりになる街はアメリカ広しといえどもそう多く ないはずだ。

モルモン教徒が作るコミュニティ-とは、つまり白人社会を意味しているが、残念ながら、人種的に排他的な部分も見受けられた。私自身、アパ-トがなかなか見つからなかったり、理由もなく警察に車を停められたりした。恐らく、白人でないからだったのだと思う。

こうした環境で過ごす中で、自分なりに取材のネタを探しまわった。そして、取材で訪れたメキシコ人コミュニティの寂しい雰囲気を目の当たりにし、こ の土地に住むマイノリティを題材にフォト・ストーリーができないかという気持ちが芽生えた。しかし、インターンシップはわずか3ヶ月の契約で、時間はあっ と言う間に過ぎていった。

ユタに住んで2ヶ月が過ぎたころ、ナイアガラの滝がある街のニューヨーク州のある新聞社から就職の打診があった。しばらく前に応募したが返事がない のですっかり忘れていた仕事口だった。さっそく次の週末、面接に向かった。ニューヨーク州バッファロ-の空港に降り立つと、編集長自らが迎えに来てくれて いた。そこも発行数3万部ほどの小さな新聞社だった。

「君はウェスト・バージニアにファンがいるな」と車の中で彼が笑う。

何のことかと尋ねると、履歴書の連絡先に電話をかけても出ないので、私の通っていたマーシャル大学に問い合わせたらしい。ユタに行ったと聞いたので電話を切ろうとすると、「彼には連絡を取るべきだ。損はしないから」と言われたらしい。

その時私を売り込んでくれたのは、大学のジャーナリズム学科の女性の秘書だった。

前回、アメリカで新聞社に勤めようと思えば、インターンでの経験とポートフォリオの質がすべてだと書いた。しかし、人と人はやはり繋がっている。彼女のおかげで、私は就職という入り口にやっと立つことができた。 (つづく)

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[執筆者]岩部高明(いわぶ・たかあき)

1968年、横浜市生まれ。1991年、日本大学を卒業後に渡米。大学院でジャーナリズムを学びアメリカの新聞社に 写真記者として勤務。Society of Newspaper Designより銀賞、ニューヨークAPよりベスト・オブ・ザ・ショウ、サウス・カロライナ州フォトグラファー・オブ・ザ・イヤーなど報道写真の受賞歴多 数。 2013年6月に日本に帰国し、ジャーナリストとして活動中。