「従業員が化学物質に暴露する恐れはない」

その後、サムスン電子から、亡くなったファン・ユミが働いていたキフン工場を案内するという返事があった。内部の撮影は一切認めないという条件だっ たが、それでも記者が見る価値は十分にある。ソウルから車で2時間余り、世界遺産の城塞で有名なスウォンを越えて向かったキフンは、サムスン電子の"城下 町"だった。

サムスン電子が半導体に本格的に参入することを決めた1980年代に、原野を切り開いて作ったキフン工場。同社の半導体部門の心臓部だ。セキュリティを通過すると、まずは事務棟に案内された。そして、30人ほどが座れる広い会議用テーブルのある部屋に通された。

前述した広報幹部の他、キフン工場の広報部員数人が同席した。全員が女性だった。

最後に、環境衛生部門のトップを務める男性が顔を見せた。彼は英語を理解しなかった。後で知ったのだが、ファン・ユミの死亡に際してサムスン電子側 の窓口として対応したのはこのトップだった。彼の対応が父親のファン・サンギの怒りに火をつけるものだったとは、私が見た冷静な物腰からは想像すらできな かった。

彼が席に着くと、司会役のキフン工場の広報部員が、テーブルに設置されたマイクに顔を近づけてこう切り出した。

「今日はお越しくださいましてありがとうございます。まず、サムスン電子の取り組みを説明させていただき、その後でご質問に答えたいと思います」

丁重な対応ではあった。しかし、今回のような、非常に細かい部分まで正確さを求められる取材で、相手の主張を報じるに当たって、プレゼンのような形 で説明を受けるのは避けたかった。しかるべき立場の人にインタビュー取材に応じてもらうか、文書による回答をもらう形が望ましい。そうしないと、説明をす る側と受ける側の間で認識のずれが生じやすくなり、報道後にトラブルになる恐れがあるからだ。

そのため、会議用テーブルでのやり取りでは、事実関係を確認させてもらうだけに止め、「ファン・ユミの白血病の原因が職場にある」とした裁判所の判 断についての見解は、別途、インタビュー取材に応じるか文書による回答で示してほしいと重ねて求めた。すると、インタビューには応じられず、文書による回 答を出すというのがサムスン電子の返事だった。私の方はそれで十分だった。(続く)

(この原稿は、「現代ビジネス」に掲載された記事を著者の承諾を得て転載したものです)

<<執筆者プロフィール>>

立岩陽一郎
NHK国際放送局記者

社会部などで調査報道に従事。2010年~2011年、米ワシントンDCにあるアメリカン大学に滞在し米国の調査報道について調査。

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