全国の電力会社の中でも関西電力は突出して原発比率が高い。関西電力の原発は全て福井県にあるが、当初は太平洋側の和歌山県や三重県にも原発建設計画があった。それらの建設反対運動に大きく関わった元京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さんに、当時の様子を聞いた。 (ラジオフォーラム

元京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さん

元京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さん

◆ 日高の原発止めた最後の行動

ラジオフォーラム(以下R):小出さんをはじめとする京都大学原子炉実験所の研究者の皆さんは、毎年、和歌山県日高町で合宿をされるそうですね。

小出:ご存知と思いますけれども、関西電力は北陸の若狭湾という所に原子力発電所を林立させました。でも、計画としては若狭湾だけでなく、紀伊半島にも多くの計画を持っていました。

私の職場だった京都大学原子炉実験所は、もうすぐ和歌山というところの大阪府泉南郡熊取町にあったわけです。ですから、和歌山の人たちが原子力発電 所の立地に対して闘っている時に、私たちも自分の問題のように、やはり関わるようになりまして、和歌山の原子力発電所の反対運動に関しては、そこら中に出 掛けて行くようになりました。

R:日置川町(現白浜町)とか......。

小出:勝浦といった、三重県側へも行くようになりました。その中で一番近かったのは、やはり日高という所だったわけで、暇さえあればビラを持ってビラまきに行くようになりました。

R:原発の建設計画が持ち上がると、よく言われるのは住民が誘致賛成派と反対派に二分され、ひどい諍いが起きてしまうということです。

小出:そうですね。原子力発電所というのは、造るというその時から、村自身がズタズタに引き裂かれてしまうという現実がありました。
原発ができる前から、住民自身の心がもうボロボロにされてしまって、親族の間ですら口もきけなくなる。あるいは、ずっと続いてきた祭りすら維持できなくなるという、そういうことが起きていました。

R:あの人お金貰ったんじゃないかとか、そういう話になっていくんですよね。

小出:そうです。

R:そのような日高町などの和歌山県の村や町をずっとご覧になってきて、それらの土地が福井と違って原発計画をはね返せた理由というのは、小出さんから見てどういうふうなものだったのでしょうか。

小出:恐らく一言では言えないと思います。例えば、日本海側と太平洋側で言うと、太平洋側の海の方が少し豊かだったということはあるかもしれません。

R:ああ、なるほど。経済的にですね。

小出:はい。ただし日高という所も容易にはね返したわけではなく、非常に突発的な出来事によって、ようやくはね 返すことが出来たのです。電力会社、あるいは国の方から真綿で首を徐々に絞めるようにして住民が苦しめられていって、誘致の側にどんどん移っていくという 人たちが増えていくわけです。最後に、漁業協同組合が漁業権の放棄をするというようなところまで追い詰められて、総会を開いたのです。

その総会に県の役員が監視に来ているわけです。その総会で決議を取ってしまうと、恐らく漁業権は放棄されてしまい、原子力発電所が建てられてしまうという段取りになっていました。

R:もっとも危ない瞬間ですよね。

小出:そうです。その時に、漁民の一人が県の役員の椅子をバァーっと引っ張った。要するに実力行使をしたわけで すね。「県の役人なんかが、なんでこんな所にいる」と言って、県の役人の座っていた椅子をそのまま取り上げて、県の役人がひっくり返るというようなことを やったわけです。それで総会が大混乱に陥って、流会してしまった。

R:それで決議をやらなかったのですか。

小出:そうです。ですから、それでようやくにして決議が上がらなかった。それで、皆さんも「もう嫌だ」と。「こ んなお互いにいがみ合うようなことはやめよう」ということで、漁業協同組合の組合長も「原発のことはもうやめた」ということになって、ようやくにして止 まったのです。ですから、本当のたったひとりの漁民の突発的なギリギリの行動が日高の原発を止めたということでした。