石丸:家族会の中で?家族が帰って来た人と、そうでない人との間で、ということですか?

蓮池:「そりゃ、あんたのところは帰ってきているからそういう風に言えるんだ」と言われると、その後言葉が続かなくなっちゃう。

石丸:当時、その会議の場には大手メディアも入っていません。外でずっと待っているんですが、会議から出てくると、家族会の皆さんはそんな会話はなかったような顔で出てくるから分からない。

蓮池:一枚岩っていうのが合言葉でした。私は(家族会は)多様な意見の方がいいんじゃないか、って言ったら、「だめだ。制裁だ」。

石丸:「戦争やってでも、制裁やってでも取り返せ」という言葉が、家族会の中から出てきましたね。あれには、多くの人がひいたのではないでしょうか。

蓮池:私も言わされたことがある。ひく人はひきましたね。

石丸:家族会の人たちは、北朝鮮問題とか外交の専門家ではない。

蓮池:そこが大きな問題なんです。97年に家族会ができましたが、そこに入ってきたのが「救う会」なんですね。 「救う会」には右翼活動をやっている人たちがいました。彼らがいろいろ助けてくれるわけです。署名を募ろうとかね。署名やるなら、紙がいる、ペンがいる、 テーブルはいる、看板がいる。タスキもマイクもスピーカーも、全部「救う会」がやってくれるわけですよ。

石丸:家族は運動の素人ですからね。

蓮池:「救う会」の人たちはそういう運動のノウハウなんか、全部持っているわけです。それがだんだん各地にできてくるようになって。毎週のように佐藤勝巳さん※から講義のようなものがあるんです。そうすると家族はどんどん佐藤色に染められていきました。
<北朝鮮>拉致問題は前進するか. 記事一覧

※佐藤勝巳氏(さとうかつみ 1929-2013)共産党員として朝鮮問題に関わり、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を支援。その後共産党を脱退し「現代コリア研究所」を設立。「救う会」会長を務めた。
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