阿嘉島は「集団自決」の犠牲者はいなかった。だが、日本軍から鬼畜米英の恐怖を植え付けられた住民が、自ら死に向かおうとしたのは他の島々と同じだった。

上陸の3日前から、慶良間諸島は米軍の空襲に見舞われた。前日には艦砲射撃も加わった。阿嘉島の住民は、集落近くの壕から「スギヤマ」と呼ばれる山の谷間に避難。軍が配った手榴弾を持って家族・親戚で円陣をつくり、「合図」を待った。周囲には機関銃を持った日本兵。垣花さんは「自決」の手助けをしてくれると安心感を覚えたという。

しかし、「自決」は中止になる。「戦隊長は『待たせておけ』と言ったそうです」。さらにその後、戦況が変わる。米軍が退却していったのだ。

「座間味や慶留間は山頂に平らな場所があり、米軍はすぐ陣地を築きましたが、阿嘉には適地がなかった。血を流して占領する必要がないという判断です。他の島のような徹底した掃討作戦がなく、住民が米軍と遭遇しなかったことも幸いしたと思います」

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