汐凪を捜してやれないということが、後ろめたさと共に心を痛めつけます。娘が流されたというのに、何もしてやれないのです。その心の痛みを東電の経営者はどう考えるのでしょうか。

汐凪の犠牲と原発事故は、全く別の話だと思います。汐凪は、津波に流されたのであって、原発の犠牲になったわけではありません。しかし、満足に捜してやれなかったことについて東電の責任は重大です。実際に、私の父は震災の次の日に捜索していれば確実に見つけられた場所で、49日後に発見されました。この49日間の野ざらしは、東電の責任以外の何物でもないのですから」(拙著『汐凪を捜して』より)

汐凪さんの捜索エリアについて、紀夫さんはどう考えていたのか。検討するための材料は、父と妻の遺体が見つかった場所だった。父の王太郎さんは自宅から南へ200メートルほど離れた田んぼで、妻の深雪さんは南に40キロほど離れた洋上で発見された。

震災から2年後、紀夫さんは自ら立ち上げたボランティア団体「team汐笑」のメンバーと捜索を行った。自宅から南へ6キロのところにある富岡町の仏浜には砂地が続いている。そこを大人4人が横一列に並び、砂利の中に骨がないか目視しながら進んだ。
「人の骨には気泡があるらしい」。「これは魚の骨だな」。目ぼしいものを拾いながら、遊歩道から波打ち際まで進むのに15分かかった。津波によって地面が混ぜ返されたことを考えると、浜通りの海岸すべてを掘り起こして調べる必要がある。いったい何十年かかるのだろうかと、気が遠くなる思いがした。
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