木村家の裏山に建てられた慰霊碑とお地蔵さん。そこから見渡せる熊川の河口周辺にはがれきが散在していた。そこを捜すきっかけになった人がいる。津波で家族4人を喪った南相馬市の上野敬幸さん(44)だ。母と長女の永吏可さんは見つかったが、父と長男の倖太郎くんは行方不明のままだ。

「僕が初めて木村さんに会ったのは震災二年後、知り合いを通じて南相馬に来てくれたのがきっかけでした。僕が津波で犠牲になった集落の方の話をしているとき、木村さんは泣いていましたね」

上野さんのボランティア団体「福興浜団」が大熊町で捜索を始めたのは2013年9月。ともに原発事故のため家族が置き去りにされた経験を持つ二人。娘の捜索のためにみんなを被曝させるのは忍びない、と話す木村さんに上野さんはこう切り替えした。

「自分の子どもを捜したいというのは当たり前のこと。それを人に気遣って言わないといけない世の中はおかしい」
その頃、いわき市のがれき置き場から人の骨が見つかったという知らせがあった。紀夫さんと上野さんは、汐凪さんの靴が見つかっていた熊川海岸のがれきに狙いを定めた。

一時帰宅の機会を使って捜索は続いた。酷暑の夏も大雪の冬も、スクリーニング場を通過してから戻るまでの5時間、紀夫さんと仲間はスコップを手にがれきを掘った。汐凪さんの体操服、深雪さんのカーディガンなど見つかったものは数十点。しかし、汐凪さんの遺骨は見つからなかった。(次の5回へ

(※初出:岩波書店「世界」2017年4月号)

<筆者紹介>
尾崎 孝史 おざき たかし 
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。

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<<<(3)捜索中、原発事故で全町民に避難の指示【尾崎孝史】
<<<(4)捜索活動、避難先から通い続け【尾崎孝史】
<<<(5)がれきの中から見つかった、娘のマフラーと遺骨【尾崎孝史】
<<<(6)助けられたかもしれない命【尾崎孝史】
<<<(7)町は高濃度の放射能汚染地帯となり、捜索は遅れた【尾崎孝史】

>>>(8終)人々の記憶の中で生き続けていく汐凪【尾崎孝史】

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