
封鎖された国境、断絶した人的交流、閉ざされた連絡手段…·。新型コロナウイルスのパンデミックは、北朝鮮をさらに不可解な国にした。北朝鮮当局は、2020年1月に朝中国境を完全に封鎖し、貿易も人の往来も遮断。平壌に駐在していた多くの外交官と外国メディアも撤退した。2020年以降に北朝鮮を脱出して韓国に入国できた人は、20人に満たないと推定される。アジアプレスは昨年7月中旬、この内の脱北者3人とソウルで面会し、北朝鮮理解に新たな視点を与える貴重な証言を得た。(チョン・ソンジュン)
◆カリスマ少女と「緑豆将軍」
カン・ギュリン氏(23歳、仮名) は、予定より早く約束場所に現れ、質問内容に素早く目を通すと矢継ぎ早に質問に答えた。脱北してまだ1年足らず。それにも関わらず、ほぼ完ぺきな「ソウル言葉」を話す。第一印象は、韓国のどこにでもいそうな小柄な若い女性だ。しかし、話し始めるや否や非凡なカリスマ性を発揮した。

「私は不法(行為)が好きでした!」と彼女は言う。
北朝鮮の刑法では、韓国を目指した脱北は死刑事由に当たる。家族の命がかかった脱北を主導した彼女にぴったりの言葉だ。21歳の若さで個人運営の漁船を駆って財産を築いたカン・ギュリン氏は、後に自身が北朝鮮で行ったあらゆる「不法」経営について事細かに説明してくれた。その中には、秘密警察(保衛局)が追跡する「指名手配者」の雇用から、北朝鮮版「労組活動」まで華麗なる「不法」の瞬間が詰まっていた(詳細は連載後半で記述する)。

娘を信じて「死線」を越えて来た、カン・ギュリン氏の母親、キム・ミョンオク氏(54歳、仮名)も取材に協力した。
キム・チュンヨル氏(33歳、仮名)は、「緑豆将軍」の名で親しまれた全琫準(チョン・ボンジュン)を連想させる小柄な体格と鋭い目つきの持ち主だ。彼を見て緑豆将軍が思い浮かんだのは、彼が聞かせてくれた北朝鮮の実情が、歴史書で読んだ朝鮮王朝末期の世相と似ていたからだろうか。
※全琫準は、甲牛農民戦争(1894年)の農民指導者。無口だが豪胆で、役人の不正に反するこの農民反乱が後に日清戦争に発展した。

「これまでは自分の国でうまく暮らしてければいいと考えていたのですが、コロナ下では国が本当におかしく見えました…。『もうダメだな』と思ったんです」
西海の黄海南道で漁船を運営していたキム・チュンヨル氏は2023年5月、妻と母親、そして兄家族など計9人で船に乗って脱出した。2019年11月以降、海を通じた脱北は彼らが初めてだった。
◆メディアも外交官も商人も去った「ブラックボックス」
2020年1月、パンデミックを境に朝中国境が完全に封鎖されて以降、北朝鮮は「ブラックボックス」になった。これほど長期間にわたって情報が途絶えることは、これまでなかったのではないだろうか。それは以下の2点において、前例のない深刻な出来事であった。
第一に、北朝鮮国内から「外部者」が消え去ったということだ。これまで平壌に駐在していた朝鮮総連の機関誌・朝鮮新報、ロシア国営タス通信などの海外メディアの駐在員はもちろん、多くの国の外交官や国際機関関係者、商売人たちも北朝鮮から撤収した。
第二に、北朝鮮の人々が国外に出る方法がほぼ絶たれたということだ。もちろんこれまでも、合法・非合法を問わず国外に出ることは極めて難しいことだった。しかし、朝鮮史上最悪の飢饉とされる1990年後半の「苦難の行軍」期では、多くの人々が川を超えて中国に脱出し、その証言を通じて北朝鮮の実状を知ることができた。多い時には、国境沿いの中国朝鮮族のちいさな村に一晩に50人近くが押し寄せてくることもあった。しかし今は、1400キロに及ぶ国境の川沿いには鉄条網が張り巡らされ、24時間の監視体制が敷かれている。
つまり、世界中で猛威をふるったパンデミック下で、北朝鮮でも人道危機が起きている可能性が非常に高いにも関わらず、世界ではその状況を把握する術がほとんどなかったのだ。