◆規定違反で懲役5年、ウイルスより恐ろしい国家
住民の間から不満が続出したが、当局は強力な統制と処罰で対応した。企業や組織を通じた監視体制が強化され、些細なことでも「非常防疫規定違反」として処罰された。
水産基地船団長であったキム・チュンヨル氏のこの時の任務は、第一に、船員の動向を監視して、当局へ報告すること。第二には、党の政策を随時、船員に伝達し、指示通りに進めることだったという。本来の仕事である水産物の生産は後回しにされた。
※基地:軍や労働党などの権力機関の傘下企業の名義で作られた営利会社のこと。北朝鮮における外貨稼ぎの末端機関といえる。
社会安全省で勤務していたキム・チュンヨル氏の知人は、キム氏に「防疫規定違反によって処罰された幹部が、省内だけで600人以上にのぼる」と忠告したという。
「病気になっただけで、『逆賊』扱いされるような社会の雰囲気でした。むやみに処罰されるので、本当に怖かったです。(規定違反として懲役)5年は当たり前で、10年というケースもありました。どうか処罰の対象になりませんように、と願っていました」
◆「ここまでとは思わなかった」国家への認識が転換
この時期、国と指導者に対する住民の認識も大きく変わったようだ。
「私たちの国の経済は最低だ、という認識を持ちました」とカン・ギュリン氏は話す。
「食料品の値段がすごく上がりました。『お菓子は国産のはずなのに、なぜ値上がりするの?』と聞くと、『本当に何も知らないんだね。国産商品なんてどこにある? 包装紙から材料まで全部輸入して文字だけ変えて売っているのさ』と言われたんです。『我が国ではお菓子さえ作れないの? 国産だと嘘をついていたの?』 と、国に悪い認識を持つようになりました」
キム・ミョンオク氏(54)も、「以前は(金正恩氏が)経済を発展させるという期待があったが、人々の認識が180度転換した」と話す。
「パンデミックが北朝鮮の人々を最も大きく変えたのは何か?」という質問を投げかけると、キム・チュンヨル氏は「国家に対する不信」と即答した。
「豊かには暮らせないことは知っていたが、ここまでとは思わなかった。そんな声があちこちで聞こえてきました」
キム・チュンヨル氏はこう続ける。
「北朝鮮の本質について知らないわけではなかったですが、私はただそれなりに暮らしていければいいと思っていたんです。ですが、コロナの時に国が本当におかしくなって…。故郷だから、という想いもあったのですが、子どもたちのことを考えると『もうダメだな』と思ったのです」
◆すべての防疫は「最高尊厳」を守るため
人々に重圧と恐怖を与えた「国家非常防疫体系」だが、次の2点に着目することで、その異常さが際立つ。
まず、当局が防疫を「最高尊厳」、つまり金正恩氏の安全を保障することと結び付けて、住民弾圧に正当性を与えたということだ。もう一つは、この時点で金正恩政権はウイルスの流入を認めていないということ。つまり、北朝鮮国内でのウイルスの蔓延を公式に確認していないにも関わらず、これほど厳格な統制を強行したということだ。
上記を勘案すれば、北朝鮮の人々がウイルス以上に国家を恐れるのも当然のことといえる。コロナウイルスが北朝鮮へ流入する以前から、すでに北朝鮮住民の苦痛は始まっていたのだった。
次回は、さらなる統制手段として、食糧流通の主導権を握ることで住民を統治する「カロリー統治」の実態について報告する。(続く4へ >>)
