腰を曲げて大きな背嚢を背負い、田舎道を歩く農村の女性。2021年7月に平安北道の朔州郡を中国側から撮影アジアプレス

金正恩政権にとって、パンデミックは「絶好の機会」でもあった。国境封鎖によって市場からモノが消え去ったのを機に、食糧の流通を掌握し、個人の経済活動も強力に取り締まったのだ。「食わせてやるから言うことを聞け」という式の「カロリー統治」を復活させたのだ。今回はその実態について紐解く。(チョン・ソンジュン)

◆ 物乞いの男性「本当にあんまりだ…」

「昔から、『物乞いはできなくてもひょうたんを割るな』(助けることはできなくても、助けを求める人の邪魔はするな、という意)ということわざがあるじゃないですか…本当にあんまりです」

2023年5月に脱北したキム・チュンヨル氏の兄が、北朝鮮国内で携帯電話で撮影した男性の言葉だ。黄海道(ファンヘド)青檀(チョンダン)郡から食糧を求めに来たという。擦り切れて薄汚れた上着を着た男性の声は、空腹のせいか小さく途切れがちだが、当局に対する怒りが伝わってくる。

映像には、道端で倒れている人の姿も映っていた。この映像は昨年3月、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で公開され、世界中の人々に北朝鮮の人道的危機の深刻さを印象付けた。

◆ パンデミックは「絶好の機会」

市場からモノが消え去り、人民が飢えにあえぐ一方で、金正恩政権はこれを国家主導の経済体系を構築するチャンスと判断したものと見られる。

国境封鎖から9ヶ月が過ぎた2020年10月頃から、官営メディアはパンデミックの状況を「絶好の機会」と頻繁に表現するようになった。10月17日付の労働新聞には、このような論説が掲載された。

「悪性ウイルスの流入を徹底的に遮断するために、国境と空中、海上を完全封鎖した今日の現状況は、独自の力と技術、自己の材料、資材によって、我々の内部的な力と発展動力を最大に増大させる絶好の機会といえる」

11月9日付の労働新聞の社説でも、「絶好の機会」という表現を強調し、現在の試練が国家経済統制を強化する機会になると力説した。

この方針は、2021年1月の労働党第8回大会で決定づけられた。金正日時代に消えた「共産主義」という文言が再び登場し、新しい国家経済発展5ヵ年計画を発表。「社会主義経済建設総力集中」が戦略路線として提示された。

また、これに対する指導と監督を進める専門部署として、党中央委員会に経済政策室が新設された。特に、経済管理に対する基本方針として、国家による統一的指導を強調していることが特徴的だ。

こうした動きから、金正恩政権は、2020年末から2021年初めにかけて、政策転換を本格化したとみることができる。

◆ 国家主導の経済政策による災い

この時期の国家の経済政策は、2つに要約される。

一つは個人の経済活動を抑制し、国家がモノの輸入、生産、運送、保管、販売の権限と利益を独占しようとする試みだ。もう一つは、食糧販売を国営の「糧穀販売所」に集中させ、国営工場や企業所にきちんと出勤する住民に対してのみ提供するという仕組みだ。

この政策が、さらなる災いとなった。

(参考写真)商人たちを監督する市場管理員。2013年8月恵山市場で撮影アジアプレス

2021年4月、両江道(リャンガンド)に住む取材協力者は、当局の個人の商行為への強力な取り締まりの様子をこう伝えた。

「取り締まりは4月15日(金日成の生誕日)を過ぎたあたりから始まった。公設市場以外の個人商売を根絶することが目的だ。パンや麺を露天で売ったり、自宅で個人食堂を営んだりバッタ商売をしたりするのも全面禁止だ。摘発されれば、物品は没収される」

※バッタ商売:取締りが来るとさっと売り物を片づけて逃げ、また別の場所で広げて売り始める商売の仕方。その有様がぴょんぴょん飛び跳ねる「バッタ」のようであることに由来する。

取締りによって市中のドルと人民元の為替レートは揺れ、食糧と生活必需品の価格も不安定化した。現金収入を失った都市住民は、さらなる苦境に追い込まれた。

◆ 統治手段としての食糧

キム・チュンヨル氏は、「糧穀販売所」を通じて食糧専売制が実施されたことで、状況がさらに深刻化したと評価する。

③(参考写真)農村で買い入れた穀物を市場に持って行く途中、安全員(警察官)に止められた男女。2008年8月平壌市郊外でチャン・チョンギル撮影(アジアプレス)

「それまで食糧が自由に流通していた時は、いつでも自分が買いたい量を買うことができていたが、国が専売制を実施してからは(在庫がなくて)お金があっても買うことが難しくなったのです」

さらに当局は、住民に職場出勤を強要し、出勤しない人々を「職場離脱者」や「無職者」として処罰した。市場を通じた現金収入が途絶える中、わずかな配給を得ようと、もしくは処罰を避けようと再び職場に出勤する人々が増えた。

しかし、安定した配給は行われなかったとキム・ミョンオク氏は振り返る。

「社会主義的にやるから職場に出勤しろと言うのに、国家がなぜ(生活を)保障してくれないんですか? 配給もなければ、労賃もありません。飢え死にしろということなのでしょうか? 統制するなら、食べ物を保障をしてくれないとダメじゃないですか。人々が集まれば、こんな話をよくしました」

こうした証言からも、当局の目的は食糧を安定的に提供することではなく、食糧を通じて体制に隷属させることであることが分かる。

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