日本のEEZに出現した北朝鮮の木造船。これも個人の「船主」が経営する漁船だと思われる。2018年7月中旬(海上保安庁提供)

カン・ギュリンさんは2023年昨年10月、咸鏡南道(ハムギョンナムド)のある都市から家族と共に脱北船に乗って韓国に向かったった。脱北前、彼女は22馬力の漁船を経営、私的に潜水士を雇って貝漁で稼いでいた。沿岸漁業の資本主義的な運営の内幕について訊いたを尋ねた。(チョン・ソンジュン)

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◆20歳そこそこで船主業に参入した度胸

――Q:どのような経緯で漁業を始めたのですか?

カン・ギュリン:最初はする気もなかったし、知識があるわけでもありませんでした。船主経験があった当時の彼氏が、稼ぎがいいから一緒にやってみようとしきりに言うので、母にお金を借りて始めてみました。ところが船主は私なのに、しきりにああしろ、こうしろと干渉されて、プライドが傷ついたんです。

これからは、私が一人でやるから手を引いてけと言って、1カヵ月も経たないうちに一人で始めました。最初は何も知らないから、お金がすごく飛んでいきました。それでも諦めずに続けていたら、次第に事情が分かるようになり、お金を稼げるようになりました。

カン・ギュリン氏。2024年7月にチョ・ソンジュン撮影

――Q:どのようなやり方で稼いだのですか?

カン・ギュリン:中央党傘下の「水産基地」に登録して作業しました。私たちは主に輸出用の貝を捕りました。私の船は22馬力で、ダイバーを雇って漁をする方式でした。イカ釣りをしようとしたこともあるんですが、いざやってみると、イカが釣れなくて諦めました。

◆取り分巡って船主ら団結して当局と条件闘争

――Q:基地とは取り分をどのように決めるのですか?

カン・ギュリン:私の地域では、最初に基地に40%を納めました。骨身を削って働いても、潜水事故が起きても補償はもないし、ガソリン代もすごくかかる。そこで、20隻近くの船主たちが団結して国家と闘いました。(国に納める金を)最終的には20%まで下げました。

――Q:国ということは、なら基地と闘った戦ったということですか?

カン・ギュリン:いいえ、(交渉相手は)中央党から直接派遣されてきます。闘う時は基地長も私たちの味方です。なぜなら、私たちが働かなければ、基地長も計画(ノルマ)が果たせなくなくなる。そうすると、基地長はクビになるんです。中央から派遣されてくる人にとっても、結局お金を稼ぐのは私たちだから、要求を無視できないのです。

――Q:船主の立場では、収入対支出はどうでしたかなりますか?

カン・ギュリン:1隻の船で1日100万ウォン分を獲って捕ってくれば、税金20%、ガソリン代、食事代などを除いた60~70万ウォンが船主の取り分です。しかし、船の維持費とダイバーの人件費もここから出さないといけません。更に、初期投資が約6千から7千ドル程度かかっているので、回収するまでには時間がかかります。

◆腕利き潜水士を法を無視してスカウト

――潜水士の人件費はいくらくらいですか?

カン・ギュリン:潜水士の報酬は、もし貝を売ったお金が100万ウォンだったら、計画分を納めてガソリン代を引いて、残りを半分ずつ分けます。例えば、税金20万ウォン、ガソリン代20万ウォンを除くと残りは60万ウォンです。半分の30万ウォンを私が取り、残りの30万ウォンを潜水士たちで分けます。つまり、3人で作業した場合、各人取り分が10万ウォンになります。
※北朝鮮1000ウォンは、2023年3月時点で約16円だった。

――Q:潜水士はどうやって雇うのですか?

カン・ギュリン:お金を払って「買い」ます。潜水士の技術が良いからこそ、船主がお金を稼げるという構造です。最初はそれを知らず、潜水士を選ばず大損しました。技術があると皆主張しますが、漁獲高を見ればすぐに分かります。できない人には「これではダメだ。他の船を探してみろ」ときっぱり言います。

腕のいい潜水士を探そうと、潜水士の借金を肩代わりしてあげて、引き抜いたこともありました。700万ウォンを出して連れてきたこともあれば、旅費まで出して西海の方から連れてきたりもしました。実力さえあれば「非労努力」でも使うんですよ。

――「非労努力」とは何ですか?

カン・ギュリン:「非労努力」は、文字通り許可されていない人を連れてきて使うことです。 私が西海岸から潜水が上手な人を連れてくるためには、偽の文書を作ってあげなければなりません。成果が出るなら、そうしてでもまで連れて来なければなりません。保衛部にで手配されていた西海の人まで使ったんですよ。お金さえあれば問題ありません。

◆当局の取り締まりが最難関 コロナの輸出規制で打撃

――Q:21歳で初めて船の運営を始めたそうですが、大変ではなかったですか?

カン・ギュリン:周囲の船主はみんな男性で、27歳前後の独身者が多かったのですが、その人たちにとっても楽な仕事ではありません。船主はそんな簡単な仕事ではないのです。だから、私がやると言った時、周りが止めました。若い女性が一人でどうやって船主をするんだと嘲笑ったりもしましたが、私は「世の中にできないことはない。私ができるということを見せてやる」と言いました。その時はみんな笑いましたけどね。

でも、実績ができれできればすべて全て変わります。船主間にも競争があります。半年も過ぎれば、私がいつも1、2位になりました。うちの基地長は、私に、「参った」お手上げだと言いました。

――Q:他に大変なことは何でしたか?

カン・ギュリン:取り締まりが一番大変でした。漁に出て魚を獲る捕まえるのが大変なのではありません。獲れば捕まえたらお金になるんですから。ところが陸地だけでなく、海上でも取り締まりがとても厳しいのです。様々な検閲があるのですが、船の文書が一つ間違っているだけでも、(当局による)調べを受けて、獲った水産物はすべて奪われてしまいます。ガソリン代も何もかも無駄になります。エンジンが没収されたり、船が押収されたりすることもあります。そうなれば、また200~300ドル払って取り戻さないとなりません。

でもそれよりもっと大変だったのは、コロナで輸出が滞ったることです。通常、貝は中国にを通じて輸出されるんですがけど、滞る度に値段が暴落するので、それが一番の不安の種でした。当局の検閲隊の取り締まりはお金を払えば解決できますがるのに、輸出に関しては私たちにできることはないじゃないですか。

 

このカン氏と、前回の記事で紹介したキム氏の2人の船主が証言したのは、わずか2年前の北朝鮮の実情だ。北朝鮮の水産業の一部が、個人の投資と経営によって運営されている現実をよく示ししている。「トンチュ」の旺盛な企業家精神、から冷徹な私的雇用の実際には刮目させられるが、権益を守るために生産者労働組合のような活動までしていたことには驚かされるばかりである。次回は、「トンチュ」が、農場北朝鮮の農村に食い込んで生産の構造を変化させている経済の実状について報告する。(続く)

 

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