◆日本が支援の探知機
対人地雷に加え、撤去作業を困難にしているのが、クラスター弾のように広範囲に飛散した爆発物で、起伏のある側道や高い草木が茂る場所でも見つかる。処理車が入れないため、隊員が探知機を手に爆発物を探す。3人の隊員が1列になるが、感覚は30メートルほど開けている。ひとりが爆発の被害にあっても、後続の隊員が巻き込まれないようにしているのだ。取材の直前には処理中に爆発事故も起きた。隊員たちは危険な任務に向き合っていた。
地雷・金属探知機には日本からの支援を示すラベルが貼ってあった。(2024年5月・ヘルソン州ミルネ村・撮影・アジアプレス)
非常事態庁(DSNS)が使うトヨタのランドクルーザー車両も日本からの支援。爆破物処理の現場で活躍していた。(2024年5月・ヘルソン州ミルネ村・撮影・玉本英子)隊員が使う金属・地雷探知機は、日本のウクライナ支援として送られたものだ。
「日本には感謝しています。ただ、まだ地雷や不発弾が埋まったままの区域は広大です。すべてを取り除くにはあと10年はかかるでしょう」
ドミトリー隊員(28歳)は、背後に広がる未処理の畑を見渡した。
地雷や不発砲弾が見つかった場合は、以前は信管を取り外して別の場所に移動して処理していたが、危険度が高い上に、時間と手間がかかるため、現場での爆破処理の方針に切り替えた。
「危険ですが、任務を誇りに思っています。私たちは、この土地を安全にして、子や孫の世代に引き継ぐ責任があります」
隊員は、探知機を握りしめて言った。
「この土地を安全に子や孫の世代に引き継ぐ責任がある」「未来のために、任務に向き合う」と話すアンドレイ隊員(37・左)とドミトリー隊員(27歳・右)。これまでに爆発で負傷する隊員も出ている中、隊員たちは危険な任務に向き合っていた。(2024年5月・ヘルソン州ミルネ村・撮影・玉本英子)
爆発物を回収すると、これまで移動して別の場所で処理していたが、数が多いうえに移送時の安全を考慮し、現場で爆破処理する例が増えた。(2024年・DSNS公表映像)◆住民の帰還妨げる未処理爆発物
2022年、ヘルソン西部の町や村を次々に制圧していったロシア軍。日増しに激しくなる砲撃のなか、住民は家や畑を放棄し、わずかな荷物を抱えて脱出した。飼っていた牛や豚を置き去りにするしかなかった農家も少なくない。のちにロシア軍は西部地域から退却したものの、砲撃で家屋が破壊された上に、生活の糧だった家畜も失った。その上、不発弾と地雷が残されているため、村での生活の基盤が築けず、戻るのをためらう住民も少なくなかった。
爆破物撤去は丹念に地図を塗りつぶすように進み、除去が完了した畑では、農業が再開されていた。
左が爆発物処理を終えた農地で麦が作付けされている。一方、右は未処理区域で、処理班が地雷除去機で撤去作業を進めていた。非常事態庁の処理班や車両もロシア軍の標的となっているため、自爆ドローンが飛来する20km圏内では活動を制限していた。(2024年5月・ヘルソン州ミルネ村・撮影・玉本英子)
村全体が激しい砲撃にさらされ、住宅、学校などいたる場所が破壊された。インフラ復旧も遅れ、住民の帰還が進まない状況だった。(2024年5月・ヘルソン州ポサド・ポクロフスケ村・撮影・玉本英子)
2か月前に爆発物の除去が済んだ畑で、ひまわりの種まき作業をしていたデニスさん(28歳)は「これで安全に農作業が再開できる」と喜んだ。(2024年5月・ヘルソン州ポサド・ポクロフスケ村・撮影・玉本英子)
韓国ウクライナ支援プロジェクトで送られた地雷処理車両。クロアチア/DOK-ING社製のMV-4で遠隔操作によって運用される。(2024年5月・ヘルソン州ポサド・ポクロフスケ村・撮影・玉本英子)
農地に転がっていたグラート砲の砲弾片。なかには未処理の爆発物もあり、住民の村への帰還を阻んでいた。(2023年6月・ヘルソン州ノヴァ・ゾリャ村・撮影・玉本英子)2か月前に爆発物の除去が済んだ畑で、ひまわりの種まき作業をしていたデニスさん(28歳)は、安堵の表情を浮かべた。
「これで安全に農作業が再開できます。この畑一面に、ひまわりが花開くことでしょう」
「見つけても触らないで」と爆発物への警告を促すパンフレット。ロシア軍が残した様々な爆発物を例示している。なかにはおもちゃに似せた仕掛け爆弾まである。(DSNSパンフレットより)次のページ: ◆北部ハルキウ州で投入された日本の処理車両... ↓